望まない妊娠・突然の出産における男性の責任。
家族やパートナー、医療や福祉のサポートなく妊娠・出産をし、赤ちゃんが悲しい結末を迎えてしまう事件が後を絶たない。
そんな悲しいニュースの中では、主役は主語は常に母親だ。
父親の姿かたちは見えない。父親の名前や写真、職業などの情報が開示されることもほとんどない。
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私は学生時代のアルバイト先で起こったエピソードを時折思い出す。 先輩社員の男性Aさんの彼女(後に二人は結婚した)が出産直前まで妊娠に気が付かず、自宅のトイレで出産した話だ。 時折テレビで紹介される、いわゆる「仰天エピソード」である。 このエピソードは私の中で「笑い話」になっている。 それは、結果 からだ。 私が知る限りでは、ハッピーエンドだったからこその、「笑い話」だ。 けれども、このシチュエーションは一歩間違えると、とんでもない事件に発展しかねなかったのだなぁと考えると、私自身も軽々しく笑い話にしてはいけないのかな、とも思う。 印象的だったは、Aさんに対して周りの先輩達のどこか同情的な態度だった。 まるでAさんに対して「もらい事故」にでもあったかのようなニュアンスのコメントがちらほらあったのだ。 中には、彼女に対して「結婚を狙ってわざと妊娠を黙っていたのでは??」と勘ぐる声もあった。 死別、レイプはさておいて。 望まない妊娠・出産、中絶をした女性に対して、世間の目は非常に厳しい。 等が問われる。 産む、産まないの選択肢は女性にある。 男性が産む選択を強要するのも、産まない選択を強要するのもできない。 のであれば、どんな状況であれ、産む選択をしようと、産まない選択をしようと、責任を取るのは女性であるべきだとの意見もある。 けれども、それでは男性の意志は反映されない。 だから男性に責任は問えない、と言うのだ。 はたして、本当にそれでよいのだろうか?? 妊娠は女性一人では決してできない。体外受精でさえ、男性の精子が必要だ。女性が妊娠した場合、相手の男性が必ずいるのだ。 であるのならば、「望まない」妊娠とは、「女性が望まない」だけではなく「男性も望まない」からこそ起きた不幸でもある。 けれども、妊娠させた男性への責任を問う声は世間ではまだまだ大きくないのが現状だ。 等を追求するこ声はまだまだ少ない。 もっと言えば、「女性を産む気にさせられなかった責任」もあってよいのではないか、と個人的には思っている。 望まない妊娠の理由でありがちなのが、 等がある。 けれども、最終的に産むか産まないかを決めるのは女性である自分だ。故に、避妊をしなかった、アフターピルを飲まないかった、中絶をしなかった責任からは逃れられない。 どんなに相手の男性にも非があろうとも、決してかわいそうな被害者とはならない。 悲しい事件に発展してしまった場合は、尚更だ。 一方男性の場合、 等の理由、背景があった場合、当の男性の責任を強く求める声はまだまだ少ない。時に、被害者として同情されたりもする。 件のエピソードで紹介したAさんのようにだ。 望まない妊娠・出産の問題において一番確実な解決方法は、周囲の人間の妊婦へのサポートであり、妊婦を福祉に繋ぐサポートだ。 産んでしまった後で事件になるぐらいなら、産んでしまう前に周囲の人間が本人の了解を得ずに一方的にしかるべき機関に通報してもいいぐらいだと個人的には思う。 ただ、それだけではこの手の悲しい事件はなくならないだろう。 男性の父親としての責任ももっと追及してかないと、悲しい事件は今後も起こり続けるのではないだろうか?? 今回逮捕された女性は、名前と顔が公表されたことで、今後普通の生活は遅れないだろう。 けれども、相手の男性はどうだろう。 名前も顔も公表されていない。 いや、そもそも本人がその事実(亡くなったのが自分の子供である)を知らない(知らされていない)可能性だってある。 そもそも論として、自分の子供が誕生した事実さえ知らない(知らされていない)可能性だって大いにある。 その事実を知らないまま、もしかしたら同じ過ちをくりかえしてしまうかもしれないのだ。 責任を問われるのは女性だけでなく、男性も同じだ。 反省すべきなのも女性だけでない、男性も同じなのだ。思い出すエピソード
望まない妊娠・突然の出産における女性の責任。
望まない妊娠・突然の出産における男性の責任。
被害者になれない女性。
被害者になれる男性。
妊婦のサポートが一番大事だけれども。