「やらない」は「やれ」と言っているのと同じだ。
「やらない」は「やれ」と言っているのと同じだよなぁ。
とつくづく思う。
私の捉え方、考え方の問題なのだろうか??
相手は「やれ」とも「やって欲しい」とも言わない。
けれども「やるよ」とも「後からやるよ」とも言わない。
だから、ついつい自分が先に動いてしまう。
そんな私を見て、黙って動かない人を見ると、
「あぁ、やっぱりやって欲しかったんだな」と改めて思ってしまう。
私自身、社会に出てさんざん上司や先輩に
「気が利かない」
「察しなさい」
「自分で考えろ」
「何をしたらいいかわからないなら、都度聞きなさい」
「黙ってじっとしていたら、やる気がないと思われて損だよ」
とさんざん言われてきた。教えられてきた。
「気が利かない」
「自分で考えろ」
と言われ続け、傷つきもしたし、反論したくもなった。
きっと、再び社会に出て、同様の言葉を投げかけられたら、面白くないだろうし、時と場合によっては、素直に反省できないかもしれない。
けれども不思議なことに、家庭の中では逆の立場になり、逆の意見を持つようになった。
もしかしたら、これも一種の「同族嫌悪」なのだろうか??
いや、4どんなにしんどくても、体調を崩していようとも、不平・不満を抱いていようとも「黙ってやる自分」「頼らない自分」に酔っているだけなのかもしれない。