夫のスーツの管理は主婦の仕事なのだろうか??
はいつも思う。
「夫のスーツの管理」は妻の主婦の仕事なのだろうか、と。
いや、家族の在り方に正解はない。自分のスーツの管理を自分でいしている夫だって、世の中にはたくさんいるはずだ。
けれども、と立ち止まって考える。
私の父親はスーツや洋服の管理を妻である母親にすっかり任せていた。自分でクリーニングに出したり、おしゃれ着洗いで洗濯したりもしなかった。
私の夫も、共働き時代から自分のスーツを管理しなかった。クリーニングにも出さなかったし、クリーニングの有無関係なく、スーツの保管場所事体も決めていなかった。
とは言え、私が夫にスーツの管理を「する」とも「したい」とも宣言した記憶はない。ただ、流れでなんとなく私がしていただけだ。
けれども、
「私がクリーニングに出さなければ、そのままずっと放置」
「直前になってスーツがないとあわて、私に保管場所を質問」
の繰り返えしは、私に「私の仕事、なのかもしれない」と思い込ませる力があるから不思議だ。
それでいて、夫ははっきりと私に「スーツの管理はポン助の仕事なのだから、もっとしっかりして欲しい」とは言わない。
だから私もついつい「スーツの管理を私はしたくない」と言い出すタイミングを逃してしまう。
スーツ問題が勃発している時、大抵夫も私もバタバタしている。時に互いの心が殺気立ってさえもいる。そんなタイミングで、火に油を注ぐ様なセリフはなかなか言い出せないのが、私の性格だ。おまけに、一旦落ち着いてしまうとますます言い出しにくくなる。
そもそも私は「物の管理」が苦手だ。
それ故夫に対し、管理しきれない自分を棚上げしつつも「苦手意識があり、現実問題で来ていないものの管理を丸投げされる不満」が強くある。
おまけに、その管理の対象物は夫の私物だ。
もっとも、夫のスケジュールや私物の管理も主婦の仕事であるととらえる人もいるかもしれない。
けれども私は違う。と言うか、私には出来ない。いや、やりたくないし、やる必要もないと思っているのだ。
やりたくないものを、やる必要もないと思っているものを、できるようにするための努力は極力したくない。それが本音だ。
だからこその、繰り返しなのだろう。
何か困ったことがあった時、一方的に努力義務、解決義務を求められる(ように感じる
だけかもしれないけれども)はいつも私だ。
悪い考え方の癖なのか。自分で引き寄せているのか。
本来であれば、期待されて嬉しいと前向きに考えるのがベストなのだろうけれども。
キャパシティの狭い私は、そう前向きに考えすぎてパンクし、失敗をする経験を何度もしている。
手放す勇気、断る勇気ももっと欲しい。