日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

忘れ物に「気付く」「思い出す」「報告する」をしたら積極的に褒めたい。

私はとても忘れっぽい。

それ故と言うべきか、長女も同じく忘れっぽい。

自分自身の「忘れっぽさ」を工夫と習慣化でカバーしきれていないのだから、長女が忘れっぽいのは仕方がないと言えば仕方がない。

まだ小学一年生の長女の忘れ物の最終的な責任者はやはり親である私だ。「自分の仕事=事前の長女の持ち物チェック」を怠った自分のミスを棚上げして、娘の忘れ物の多さを非難するのはお門違いなのだ。

頭ではわかってはいるものの、登校直前に娘自身が、登校後私が「あっ忘れた!!」「あっ忘れてる!!」となると、ついつい感情的に叱ってしまい、後悔と反省の毎日を繰り返してしまう。

この時期は特にマスクを忘れがちだ。ランドセルの中に予備のセット(マスク、ハンカチ、ティッシュ、割りばし)を持たせているが、その予備でさえ管理しきれていない(使っても補充していない)のが現状だ。

 

そんなある日、私はふとこんなことに気がついた。

「思い出して、結果忘れ物をしなかったのだから、ここは褒めポイントなのでは??」

普段、意識して「叱らない育児」「褒める育児」を実践しているわけではない。わけではないが、叱る回数が少ないのに越したことはない。

もっと言えば、、

「たとえ登校後であっても、娘の忘れ物に気が付いた私だって偉い!!忘れ物を届ける私って優しい!!」

とも言えるのでは、と。

 

忘れ物をしない、しないように工夫する、習慣化するためにはまず忘れ物に気が付かなければならない。私に指摘されてもその必要性が理解できていなければ「しまった!!」とさえも思わないのだ。

そういう意味では忘れ物を、

  • 自分で思い出す。
  • 指摘されたら気が付く。
  • 学校で気が付いたら、家で報告する。

のもとても大事だ。その点も立派なめポイント」なのだ。

 

そういえばと思いだす。

先日、職場の上司にとあるミス(トラブル)を極々初期の段階で報告した際、上司に「すぐに報告してくれたありがとう」と声をかけられたのだ。まだまだ新人とはいえ、自分の犯したミスに大きく落ち込んでいた私は、その言葉にとても救われた。

 

 

そんなことをつらつら考えつつ。

自分にも娘と同じポイントで褒めてあげられれば、自分の中の「褒められたい」欲求が少しは満たされるのかもしれない。

人にして喜ばれた行為を、自分自身にしてあげたときも、自分を褒めるきっかけにもなるのかもしれない。

そんなことも考えている、今日この頃の私だ。