「簡単」「誰でも」「すぐ」できるという表現の危うさ。
料理でも、裁縫でも、育児でも、日々のライフハックでも。キャッチフレーズとして人気なのが、
- 簡単にできる。
- 誰にでもできる。
- すぐにできる。
なとと言った、容易さ、手軽さを謳った文言だ。
もっとも、この手の謳い文句の付く手法の全てに、皆が皆「私にもできそうだな」「確かに簡単そうだな」「やってみたいな」とはならない。
ならないのは頭では理解できるのだけれども。
現実問題「簡単、誰でも、すぐできる」との謳い文句や説明を目の前にした時、
- 私にはできない。
- 簡単には思えない。
- やってみたいなとは思えない。
- やれたにはやれたけれども簡単ではなかった。
との素直な気持ちや感想を声に題してはいけない空気を私は一方的に読み取ってしまう。
第三者にとあるハウツーをレクチャー、アドバイス、紹介をしたとき。
それが相手にとって「簡単か否か」「すぐできるかどうか」など発言した本人にはわからないはずだ。それでも、私達はとても安易に「簡単」「すぐできる」と謳ってしまう。
非常に魅力的なフレーズではあるが、時と場合、その後のフォローを考えたうえで、この手の言葉を多使うべきなのでは、と最近思うようになった。
仕事を始めて一か月がたった。
私の職場は倉庫内での分業化された流れ作業だ。いわゆる単純作業である。
たくさんのパート、アルバイトを抱えているため、各作業はきちんとマニュアル化されている。指導係のベテランパートさんの指導も的確で無駄がなく、それでいて指導する相手のレベルに寄り添った丁寧なものだ。
それでも、作業には「正確性」と「スピード」が必ず要求される。「簡単な作業」では決してない。
昨日も新しい作業を覚える機会に恵まれた。ただ、スピードと正確性が以前の作業以上に問われる作業であったのも手伝って、最後の最後まで指導係のパートさんのフォローなしに作業を完遂するまでには至らなかった。
さて、慣れない作業に四苦八苦する私に、社員さんや指導係のパートさんがしばし口にするのは「慣れてくればできるようになるわよ」「誰にでもできるようになるから」などといったアドバイスや励ましだ。
もちろん、私のためを思ってかけてくれや温かい言葉だ。焦る私の心を軽くしようと、彼らなりに心を尽くしてかけてくれた言葉なのだろう。
とは言え、「半人前」の自覚がある私には、この「誰にでもできるようになる」「慣れればできるようになる」は魅力的な言葉ではなく、プレッシャーでしかない。
私自身の気持ちの持ちよう。言葉の受け取り方の問題だと指摘されればそれまでだけれども。
ミスを繰り返してしまったり、数をこなせなかったりすると、
「目標値に到達できるようになれなかったらどうしよう」
「たとえできrるようになっても、人の倍以上の時間がかかったのならばクビになるかもしれない」
とついつい怖気づいてしまう。
一方で、この手の言葉を家の中でパートナーから聞かされると、「不安」から「イライラ」や「モヤモヤ」に変わるから不思議だ。
パートナーは「上司でも指導係でもない。故に「だったら自分がやればいいのに」との反論が生まれてしまうからだ。
自分自身への自戒も込めて。この手の言葉を使う時は色々と気を付けたい。特別、子供達に対して気軽に使わないようにしたい。