日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「家族や夫婦の在り方に正解はない」だから悩みが尽きない。

「夫が連絡なしに早朝から昼近くまで外出する」そんな愚痴をこぼすと大抵の友人、ママ友は驚く。そうして、一緒になって怒ってくれる。

これは我が家だけに限った話ではなく。 

友人やママ友、先輩ママからの話の中でも「えっっ!!」と驚かされる家族間、夫婦間のエピソードを耳にする機会はちらほらとある。

もっとも、私自身が属するコミュニティの特殊性も手伝って、必然的に妻側の夫への不満が主ではあるのだけれども。

  • 外食や惣菜を嫌うが、自分で料理をするのも嫌がる夫。
  • 自分の実家に帰省した際、子供の相手もせずっとソファーで転寝する夫。(これは我が家も同じ)
  • 自分以外の家族が体調不良の時は、ホテルに避難する夫。(仕事柄致し方がない、らしい)
  • 妻が体調不良であっても、頑なに自分では掃除も洗濯もしない夫。
  • 毎週末、近居の自分の実家に家族で泊まりに行きたがる夫。(その間、夫は子供相手はしない)
  • 生活費をくれない夫。(固定費は夫の講座から引き落とし。妻も働いているが、妻の方が家事・育児負担が大きいのに子供が大きくなるに連れこれからも増えていくであろう生活費が貰えないのは痛い)

等々。

きっと、夫側からも妻に対する「えっっ!!」なエピソードはわんさかとあるのだろう。

きっと、私の夫にとっても私に対する「えっっ!!」なエピソードはきっとたくさんあるはずだ。

 

 

もっとも、これらのエピソードに対する私の反応「えっっ!!」は、私の主観によるものだ。

難しいのは、私以外の人間にとってはこれらのエピソードを聞いても「ふーん」や「で、だから??」だけだったりもする。

故に、悩みが悩みとして成立すらしない。

 

人は言う。

「家族や夫婦の在り方に正解はない」

「夫婦間・当事者間で納得できていれば、他人がとやかく言う必要はない」と。

なのだから、被害者が声を上げなければ、不倫や借金も、暴力でさえも第三者が口出してはいけない、と。

 

とはいえ、当の本人が声を上げないからと言って、話し合いをしないからと言って、皆が皆不満を抱えていないわけでは決してない。

当事者それぞれの性格や特質、金銭的な理由、何より子供の存在により、「声を上げられない」「話し合いが出来ない」ケースはままある。

 

 

客観的に、金銭問題、異性問題、暴力問題は別として。(現実問題、これらの事例さえ絶対的な正解は存在しないのだけれども)

夫婦間の家事・育児にまつわるいざこざについては特に、「絶対的な正解」は存在しない。

故に「話し合い」で解決せねばならず、私の様に「話し合いが苦手な人間」が自分の不満や違和感、モヤモヤを相手に伝えきれずにうじうじと悩む結果になる。

 

ネットやSNSの発達により、第三者の多種多様な考え方が言葉が容易に目に耳にはいるようなった昨今。

「絶対的な正義・正解」がないがために、自分の不満や違和感、モヤモヤ事体に自身が持てず、その気持ちを相手に伝えられない、伝えても反論され丸め込まれてしまう不幸は後を絶たない。

それらの問題は、当事者である大人だけの問題では決してない。子供にも確実に影響が及ぶだろう。結果、子供への虐待に繋がるのであれば元も子もない。

 

 

「幸せの形」がひとつしかないのは問題だ。

かといって、「幸せの形」がたくさんありすぎるのも、問題なのではないだろうか??

もちろん、多様性を否定するのも間違っているのだろうけれども。

 

「躾における体罰禁止」のように、家族や夫婦のありようにも最低限の禁止事項があったほうが楽なのかな、健全なのかな、と思う今日この頃の私だ。