正しく怒れない。
いや、正しくは「きちんと言葉にして、相手に自分が怒っていることを伝える」のができないのだ。
もっと言えば、「相手の反応を恐れずに、相手に左右されずに怒れない」のだ。
今日私は仕事だった。
実労働時間は5時間、拘束時間は休憩時間、通勤時間を含めて7時間。出社前には出来る範囲で一時間強家事と育児をしている。
その上で帰宅途中に、
- 日用品の買い出し
をし帰宅後、
- 部屋の片づけ
- 皿洗い(夫と長女の昼食時の皿がシンクにそのまま放置されていた)
- 掃除(掃除機掛けとモップ掛け)
- 長女の宿題を見る
- 昼寝から覚めた次女の愚図りをなだめる
- 夕食を作る
- 布団を敷く
- お風呂の準備をする
等の一連の家事と育児をするのは、ひどくしんどかった。今日は特別体を使った仕事をしたのも手伝って、非常に疲れていた。
夫はと言えば、その間ずっといつものようにソファーで転寝をしていた。
夫が起きたのは、私が一足先にお風呂に入り、子供たちをお風呂に呼び寄せようとしたタイミングだった。
夫が一言「ごめん」なり「ありがとう」なりの言葉をかけてくれたら、少しは違ったのかもしれない。
けれども夫は私に何の言葉をかけることもなく、私と入れ替わりに子供たちとお風呂に入ると、先に子供たちをお風呂から出し、自分だけゆっくりと湯舟に浸かっていた。
私は夫にイライラしていた。怒りたかった。
けれども結局私は夫に怒れなかった。
ただ一人イライラし、そのイライラに夫が逆切れして私が謝るという、本末転倒な結果を招いてしまった。
私は「言葉にして怒るためには、自分が正しくなくてはならない」と考えがちだ。故に、何事にも自信のない私は常に「これは怒っていいのだろうか??」「私のわがままではないのか??」と一々立ち止まって考えてしまう。
その癖、全ての負の感情を飲み込み、何もなかったかのように振舞えないのだから、我ながら質が悪いとつくづく思う。
結果、私は夫に対し、「キチンした怒り」ではない、「イライラした態度」や「言葉を選ばない」「厭味ったらしい口調の文句」を向けててしまう。
おまけに、その結果、逆に夫が怒り自分が謝るという展開を、性懲りもなく何度も繰り返してしまっている。
どうしてだろう、といつも思う。
子供時代にきちんと「自分が正しく怒ることで事態が変わる経験」をしないまま大人になってしまったからだろうか??
少なくとも、自分の母親や父親は、私がどんなに怒っても謝らなかったし、私が訴える不満や不便さを積極的に改善してくれはしなかった。
大人になった今、親の教育をとやかく言うのも恥ずかしいのだけれども。
子供時代の家の中に限らず、学校や職場でも「理不尽なことを言われたりされたりしたら怒る。不快だった、傷ついたと伝える」経験を私はしてこなかった。もっと言えば、教師や上司、先輩から積極的にそうするように、指導・教育をされてこなかった。
どこかで、我慢は美徳だと学んでしまったのだ。
きっと、私の元よりも性格もあるのだろう。うじうじと悩みやすく、相手の反応を過剰に期しすぎる性格の影響だ。
友人は「だったら手紙に書けばいいんだよ」と言う。
でも、私はその手紙さえも怖い。その手紙を読んで夫がイラっとするのが容易に想像できるからだ。
そういう決めつけ自体が、間違っているのだろうな、とも思うのだけれども。
どうしても、そう思わずにはいられない自分がいる。日頃の夫の言動がそう思わせるのだ。「ごめん」も「ありがとう」言わない夫に、「きちんと感情を出して怒れば、言葉を選んで感情的にならずに不満を伝えれば伝わるはずだ」とはどうしても思えないのだ。
なぜだろうか??
きっと、普段、自分の言い分を聞いてもらうことなく人から怒られてばかりの自分がいるからだろう。
怒られて、心が傷付き、ひどく自尊心が気付つけられる経験をたくさんしてきたからだろう。
それ故、心の奥底で素直に反省できていない自分がいるのだ。
だから、夫も信じられないのだ。
色々と突き詰めて考えてしまったら、さらにモヤモヤしてしまった。今度は夫に対してではなく、自分に対して。