「有意義な何か」をしなければいけない気分になる。
私だけだろうか??
家にいると無性に、
「何か生産性のある行為をしなければいけない気分」
になるときがある。
いや正確には、
「生産性のない行為への罪悪感」
を抱くときがある。
今はネットやSNSで簡単に他所の家庭の「日常」が垣間見れるのも手伝って、ついつい「生産性のある何か」「有意義な何か」をしていない自分と比べ、落ち込んでしまう。
例え、それらの他所の家庭の「日常」が、多少脚色されているかもしれない可能性踏まえてもなお、焦り落ち込む気持ちは薄まらない。
何をもって、「生産性の有無」を判断するかは難しい。
「有意義な何か」を定義するのも難しい。
だが、ネットやテレビ、友人や職場の同僚の話しや写真を見聞きするにつれ、
- 子供と一緒に料理や工作、手芸をする
- 工夫を凝らした、独創的な遊びを子供とする
- 料理にひと手間かける
- 掃除を念入りにする
- 断捨離をする
- 子供のためのハンドメイドの作品を作る(今の時期はマスクやマスクケースなど)
が、「女性としての」「母親としての」有意義な時間なのではないか、との疑問や先入観、固定概念を抱いてしまう自分がいる。
少なくとも、多くの母親が上記のような有意義な家での過ごし方をテレビやネット、SNSで紹介、発信している。
出来ているか、いないかは別として。
ネットやテレビで、他所の家庭の、どこかの誰かの、有意義な過ごし方を見るにつけ、
「やらなければいけない気分になる」
「やっていないと後ろめたく思う」
のだから不思議だ。
ただ単に、「そういう過ごし方もあるんだなぁ」で終わらせればよいのだろうけれども。
一人で勝手に「これが母親としての正しい家での過ごし方だ」とのメッセージを受け取ってしまい、焦ってしまう自分がいる。
目下の悩みの種である、長女の自宅学習が全くはかどらないのも影響しているのかもしれない。
もっと言えば、3ヶ月前からパートではあるが仕事を始めたのも影響しているかもしれない。
様々な工夫やアドバイスもあるにはあるが、沢山ありすぎてどれを選んだらよいのか取捨選択が私には出来ない。
おまけに、自分には出来そうもないアドバイスを前に、一々落ち込んでしまうのだから、面倒くさいなぁと自分でも思う。
こんなマイナス思考のおかげで、「生産性のない、有意義でもない何か」をしても満足感が得られず心のリフレッシュやリセットに繋がらないのだから、本末転倒だなぁと我ながら思う。
こんなマイナス思考である故に、「生産性のある、有意義何か」のための心と体のエネルギーが蓄えられないのだろうか。