日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「家事・育児に支障のない程度に働く」の耳障りのよさ。

結婚前、新婚当初。私はこう考えていた。

「収入が低いほうが、家事を多く担うべきである。」と。

「労働時間が短いほうが、家事を多く担うべきである。」と。

 

故に、こうとも考えていた。

「子供が生まれたら、収入が少なく、大きなキャリアアップが望めない職種に就いていた自分は、子供がある程度大きくなるまでは”家事・育児に支障のない程度に働く”のが、ベストなのでは。」と。

 

 

もとより、「家事・育児に支障のない程度に働く」とのフレーズは私にとって、とても耳障りが良かった。

「収入の低さ」「キャリアの貧弱さ」などのコンプレックスを「家事・育児」で薄めてくれる、優しい言葉に思えたからだ。

おまけに、正社員時代の「仕事と家事(特別、夕食作り)の両立」に時折疲れを感じていた私には、とても魅力的に思えた。

 

けれども蓋を開けてみたらどうだろう。

私にとって働く目的はズバリ「お金」だ。けれども、家事と育児の合間にする仕事では、時間の調整が難しく、故にお金を沢山は稼げない。

お金を稼ごうと思ったら、家事の時間や自分の時間(夫が基本土日仕事でかつ、休みも不定期なので予定が立てづらく、夫のサポートも難しい)を犠牲にする必要がある。

結局、要領が悪く、オンオフの切り替えが下手くそな私にとっては、

「どっちも中途半端」

「仕事で疲れて、家事がおろそかになり、時に子供の相手もおっくうに思え、それでいて大してお金も稼げない」

という散々な結果が待っていた。

 

 

とはいえ、世間一般でも、「パート・アルバイト主婦(主夫)への、夫(妻)の家事・育児のサポートについて」は、まだまだ議論があるところだ。

明確な一つの正解はなく「夫婦が納得していれば、家族の数だけ正解がある」のが、模範解答だろう。

ただ、この「夫婦が納得していれば」との条件が非常に厄介で、その駆け引きに引き下がりがちなのが、「稼げていない」「長時間働いていない」側になりがちなのが、実情なのではないだろうか??

 

 

働いた分の全てが自分のお小遣いになるのであれば、別なのかもしれないけれども。

改めて考えていると、そもそも論として、「家事・育児に支障のない働き方」とは、主体となって働くパートナーにとって、非常に都合がよすぎないだろうか??と、思うのだけれど、いかがだろうか。

 

我が家の場合、大黒柱として働く夫は、全く家事・育児をしないわけではない。ないけれども、選り好みはするし、時に家事・育児よりも自分の都合を優先する。

それ故、いくら私が働いていて、夫が休みの日であっても、帰宅後の私は家事から(育児は当然私もするものとして)解放されはしない。

 

休校前、夫が休みで私が仕事の日、私がしつこく「夕ご飯を作りたくない」「夕ご飯を作ってほしい」と訴えた時、疲れて嫌々夕食を作っていた時(言動にその嫌々な気持ちが駄々洩れていた)、夫は私にこう言った。

「そんなにきついんだったら、疲れるんだったら、働くのをやめてほしい」と。

理屈で言えば、現状でも夫は十分に家事・育児をやっているのだろう。けれども、それに満足していない私の感情は置き去りのままでよいのだろうか??との疑問が頭から離れない相変わらずの私だ。

 

 

昨日も夫は仕事が休みで、私は仕事だった。

帰宅後、疲れていた私は「たまには夕食を作ってほしい」とはっきりとお願いしたものの、きっぱりと断られてしまった。

個人の買い物をしたいと一人家を出ようとする夫に向かって「ついでに夕食の買い物をお願いしたい」と頼んだら、露骨に嫌な顔をされてしまった。

夕食後、一人外出する夫に「帰りにシャンプーとコンディショナー買ってきてほしい」とお願いしたが、それもきっぱりと断られてしまった。

 

もしかしたら、そんな夫の日々の言動の積み重ねが、私にますます「家事・育児に支障のない程度に働くことの正しさ」に縛り付けているのかもしれない。