日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

不倫は一人ではできない。

今、お笑い芸人アンジャッシュ渡部さんの不倫スキャンダルが物議をかもしている。テレビのワイドショーやネットでの情報ではあるが、不倫の詳細(相手が複数いるらしいとか、現場が多目的トイレだったらしいとか)と、渡部さんの愛妻家としての、イクメンとしてのプラスのイメージとのギャップが相まって、批判が相次いでいる。

 

ただ、個人的にちょっと気になったのは、浮気相手に対して少々同情的な声がある点だ。

「多目的トイレ」とのワードと「短時間」とのワードが「性の捌け口」との過激なワードを連想させるかららしい。渡部さんの加害性のみがフィーチャーされる形となっている。

私は渡部さんのファンではない。(個人的には、相方の小島さんのほうが好きだ)なので、彼を擁護する気持ちは1ミリも持てない。

ないが、かと言って不倫相手を擁護する気持ちも同情する気持ちも持てない。

 

不倫は一人ではできない。

不倫相手の立場になって考えてみて。

相手が既婚者か否か不倫相手が知らないのであれば、法的にも倫理的にも「仕方がない」と断罪しない選択肢はある、のかもしれない。

しれないが、知っていたのであれば話は違う。

確信犯的に「相手が既婚者だと知っていたにもかかわらず」関係を持ったのであれば、「相手に誘われたから」は理由にはならない。「結婚前から関係が続いていた」も理由にはならない。

そうして、その相手から例えどんなひどい扱いを受けたとしても「気の毒だな」と素直に思えないのが、私の素直な感想だ。

不倫相手と渡部さんの関係性の中で「や無得ない事情」でどうしても「断れなかった」「関係を断ち切れなかった」のかもしれないけれども。

不倫はDVやパワハラ、セクハラとは違う。

一緒に仕事をしているわけでも、生活を共にしているわけでもないのであれば、「不倫相手と別れる」のが難しい理由が、男女の理由以外に私には思いつかない

であるのであれば、どんな関係性であったとしても「どっちもどっち」であるはずで、すべてを相手のせいにするのは違うのではないか、と私は思ってしまう。「好きになった弱み」のようないびつな関係性は、相手があってこそではあるが、自分自身も日というか原因があると考えるのが妥当だ。

 少なくとも、「交際相手からひどい扱いを受けている」との恋愛相談を受けた第三者の一般的な意見としては「そんなやつとは別れろ!!」だろう。そんな関係性を続けておいて「あいつが今日も○○だった」なんて泣き言聞いても、困るだけだ。

 

 

私の中にある「完璧な被害者を期待する心」があるからこその偏見のかもしれない。こういった偏見が「セカンドレイプ」などの二次被害につながるのだろうか??

 

それとも、「不倫」と「性被害」や「援助交際」は別物なのだろうか??