日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

男女共同トイレ問題。

今、トランス女性(からの性別は男性、心は女性)のトイレ等の公的利用方法について、いろいろ議論が盛んになっている。

 

この手の議論は、トランス女性への差別や、男性への差別に繋がりかねず、非常にセンシティブな問題だ。

 

私個人としても、

トランス女性の利用も認めるべきだ。

ただし、トランス女性を装っての悪意ある利用は防ぐべきだ。

とはいえ、トランス女性と悪意のある男性の区別は見た目で判断できないので、その線引きをするのは困難。

とのあいまいな意見しかない。

 

 

さて、議論の趣旨とは違うが、この話題に関連して、かつての会社員時代に経験した「男女共同トイレ問題」をふと思い出した私だ。

ちなみに、この問題も一つのきっかけとなって、私はこの会社を辞めている。

私はかつてショールームに勤めていた。客層の7割8割が男性だったのも影響してか、女性スタッフは私だけ。そのためか、トイレは3か所しかなく、お客様用の男女別のトイレとスタッフ用のトイレに分かれており、当初私はお客様用の女性用トイレを使用していた。

かつての職場は体育会系的な体質で、かつ男尊女卑の思想がまだ根強くあったのも手伝って、お客様用のトイレの掃除は男女ともに毎日私がしていた。ちなみに、スタッフ用のトイレは、男性スタッフが数日おきに掃除をしていた、らしい。

新卒で入った職場である。右も左もわからないまま、前任者の女性スタッフに言われるがままに男性トイレも抵抗なく掃除ができていた。というのも、使用頻度が高くなく、しかも毎日手順通りに洗剤を使用して掃除をいたため、そこまで汚れなかったからだ。

しかし、問題が起こった。

ある日突然、上司の心変わりにより(お客様からの直接のクレームはなかったが、上司がお客様の目を気にして)、スタッフ用のトイレの使用を命じられたのだ。そのトイレは使用頻度が高く、毎日掃除もしておらず、すでに全体的に汚く、臭かったのをよく覚えている。

汚かっただけではない。

職場の異性のスタッフと「日常的にトイレを共有する」のが、当時の私はたまらなく嫌だった。

 

 

とはいえ、男女共同トイレは、普通に存在している。

家庭内ではもちろんのこと、コンビニなどの出先でも男女共同トイレは普通に存在している。多目的トイレも、男女の区別はない。

故に、そこに抵抗を感じるの事体がおかしい、のかもしれない。

おかしいのかもしれないが、当時の私はとにかく「嫌」だったのだ。性犯罪云々は抜きにして、理屈ではなく、生理的に。

 実際問題、男女共用のトイレの前で、見知らぬ男性の後ろに並んだり、男性と入れ違いでトイレに入るのは、私自身は不快でも恐怖でもないが、正直気まずい。男女別にできるスペースと予算があるのであれば、分けてもらいたいと思うのが本音だ。

 

もっとも、見た目で男女を分けるのも難しいのも事実だ。

 性自認が女性でも、生まれつきであったり、好き好きであったりで、見た目が男性に近い容姿の女性もいるだろう。

だからこその矛盾であり、議論ではあるのだろうけれども。

 

 

きれいにまとめるのならば、生物学的な基準での男女でトイレを分けないのが、ジェンダーフリーとか、多様性の観点からみて、正しいのかのしれない。

しれないが、「嫌だ」と思う人がいるのであれば、選択肢はあったほうがいいはずだ。

ただ、トランス女性としては「女性と同じように振舞いたい、扱われたい」のだろう。そうなってしまうと、議論は永遠に平行線だ。