日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

直前の「ご飯いらない」と、飲食店のキャンセル問題。

もし、私だったら。

急に「晩ご飯いらない」と言われたら、気分が悪くなるだろう。腹が立つだろう。そうして、悲しくもなるはずだ。

 

いや、そもそも単純に、ご飯を作り終わった後(作り終わっているだろうと想像できる状況の中)、不要不急の理由以外で唐突に「ご飯いらない」と伝えるのは、人として非常に失礼な行為だと、私は思う。

 

 

先日発言小町でこんな投稿を目にした。

相談内容の詳細は以下だ。

  • 投稿者は 二人の子供(4歳と0歳)がいる妻。
  • 基本的に晩御飯を毎日作っている。
  •  週に1、2回急に(晩ご飯の準備が終わってから)「ご飯いらない」と夫から連絡が入る。
  • 夫は帰宅後すぐにお風呂に入るため、その前に子供たちの夕食と入浴を済ませねばならず、スケジュールがタイトになりがち。
  • 夫としては会社の付き合いは積極的には断りたくない様子。
  • 妻としては当日に決まる誘いはできれば断ってほしい。

等がある。

また、投稿のきっかけとして起こった出来事(特別「色々あって大変だった日」に「ご飯いらない」と連絡が入った)の影響も大きかったようだ。

 

実際、我が家でも私たちが就寝後帰宅した夫が私が作った夕食を食べずに(どうやら上司に外食誘われたらしい)、夕食が翌日の朝までそのままテーブルに放置されていることが、数回あった。夏場だったのもあって、それらの残り物を捨てながら、ひどく腹を立てたのを思い出した。

 

我が家もそうだが、子供の好き嫌いや食べる量好み等々と考え、夫だけ一品増やしたりするのはよくある。

もっとも、「一日働いて疲れている夫にこんな簡単な(子供向けの)メニューじゃかわいそうではないだろうか??」

私の思い込みも大いに関係しているのかもしれないけれども。

夫が食べないとなれば、メニュー事体をがらりと変更するのもよくあるパターンであり、よく聞く話でもある。

故の、「腹立ち」であり「悲しみ」なのだろう。

 

おまけに、夫はその「特別待遇」に対し、何の疑問も違和感を感じていない。一品増やせば増やしただけ、単純に喜ぶ。

 

 

そのため、私は「きっと投稿者に共感するコメントや夫を批判するコメントが集まるんだろうなぁ」と想像していた。

 

けれども、私の予想に反して件の相談には、

  • 投稿者を批判するコメント
  • 投稿者を批判こそしないが、「その心情が理解できない」と切り捨てるコメント
  • 投稿者に共感を示しつつも、教え諭すコメント
  • 投稿者に批判も共感もせず、具体的な対処方法や考え方を提案するコメント

が目立つ。

「純粋に投稿者に共感だけするコメントは少数だ。

 

また、建設的なアドバイスとして

  • 夫に特別なメニューを用意しない
  • 頑張りすぎない
  • 「ご飯いる」メールを17時頃にしてもらうようにする。
  • 作った料理は「翌日の朝食もしくは夕食」とし、「一食作らなくて済んでラッキー」と思うようにする。

等が積極的に寄せられていたのは興味深かった。

 

これらのコメントやアドバイスを読んで「あぁ、これが妻ととしての正しさ」なのだろうな、とは思った。

思ったが、私にはどうしてもしっくりこなかった。

 

 

話は変わるが、この投稿で私は別の話を思い出した。

一時ワイドショーで問題視された「飲食店のキャンセル問題」だ。

飲食店への予約について、

「直前のキャンセル」および

「連絡をしないまま、来店もせず結果キャンセル」

する行為に多くの批判が集まっていた。

 

でも、と思う。

家庭内において、急病や事故、特別重要な仕事(付き合いを除く)以外の、急な食事のキャンセルを「妻として、母親として受け入れ、対応するのは正しい」とされている。

妻の、母親の食事作りのコスト意識や感謝の気持ちはそこにはない。「見えない」というより「見せない」のが正しく美しいとされているからだ。

 

家庭内での食事と、飲食店での賃金の発生する食事を一緒にするのは乱暴かもしれないけれども。

そこに矛盾を感じてしまう私は、やはり少数派なのだろう。

 

「他人を変えることはできない」のだから、対処方法としてはきっと正しい。

正しいのだけれども、それは「セクハラ」や「モラハラ」「パワハラ」「いじめ」に苦しむ人々に「相手を変えることはできないのだから、あなたが変わりなさい」と加害者側、の更生に目を瞑って被害者側に変化を促すのと構造が非常によく似ている。

けれども、それでは根本的な解決には決してならない。あくまで対処方法だ。

もっとも、何もしないよりは「何か」したほうがいいに越したことはないのだろうけれども。