「人を頼りにしない」と「自分で抱え込まない」の違い。
家事・育児に限らず。何かにいっぱいいっぱいになっている人間に対して、よく聞くアドバイスに、
「人を頼りにしない(期待しない)」
「自分で抱え込まない」
の二つがある。
一見、「人を頼りにしない」とのアドバイスと「自分で抱え込まない」とのアドバイスは、同じ方向性のアドバイスには見えない。
見えないが、後者の「自分で抱え込まない」を、「そのためには適宜人を頼る」と理解せず、「ものや作業の数を減らす、工程を減らす、簡略化する」と理解すると、この二つのアドバイスは相反することなく同居できる。
私の場合、なぜだかどうして「自分で抱え込まない」=「人に適宜頼る(期待する)」と解釈してしまいたくなる。目の前に、視界の中に夫がいるとなおさらだ。故に、イライラとモヤモヤの堂々巡りをしてしまう。
仕事を始めてからと言うもの、朝のバタバタした時間がストレスで仕方がなくなった。夫の仕事が休みの日に積極的に仕事を入れ、夫を積極的に頼っているのだけれども、夫仕事が休みの日はもれなく朝寝坊(と言うか、仕事の日も自力で起きられず、私が起こしている)ので、朝のスケジュール的にはあまり変わらないのが現状だ。
夫が子供たちの登校・登園時間までいてくれると
- 夫の朝食時の皿を洗わなくて済む
- 次女のぐずりの対応を変わってもらえる
- 子供たちの皿洗いや掃除を中途半端な状態や、最悪やらずとも罪悪感も焦燥感もなく出勤できる
等と大いに助かる部分がある。あるのだが、次女のぐずる理由は
- 起きた時にママが隣にいなかった
- ママと一緒にトイレに行きたい
- ママに抱っこされたい
- ママのお膝の上でご飯が食べたい
等なので、頼れないケースも正直ある。やはり、一番確実なのは「ものや作業の数を減らす、工程を減らす、簡略化する」だ。
今、先輩ママや、職場の同僚から話を聞き
- 仕事の日と休日で起床時間を変えない
- 朝食のメニューを一つに固定、もしくは二つ三つに決めてローテーションする
- 朝食には子供が好きなものしか出さない
- 子供が朝食を食べても食べていなくても、時間で区切る
- 前日の就寝前に、翌日の各自の持ち物を全て準備しておく
- 当日しか準備できないものは、紙に必ず書いてテーブルに貼る
- 紙にタイムスケジュールを書き出し、朝のルーティーンを整理する
- 掃除や皿洗いに手が回らなかったら、潔くあきらめる
を徹底している。
傍から見たら真新しいことは何もなくただただ「当たり前にこなしている物事ばかり」に映るのだろうけれども。
私はそれが徹底しきれず、イライラやモヤモヤ・バタバタを繰り返すのが私の日常だ。
そこには夫が存在しない。そのほうがいっそすがすがしい。
そう言い切れるようになるまで、もう少し「ものや作業の数を減らす、工程を減らす、簡略化する」を追求していこうと思う。