日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

ホウキを持ってする散歩。

昨日、長女と次女の三人で近所の神社まで散歩に行った。私と次女はホウキを片手に。長女は恥ずかしがり手ぶらではあったが、ホウキを持った私と次女を前に「恥ずかしいから一緒には歩きたくない」とは言わなかった。

 

次女がホウキを持って外に出るのはこれが初めてではない。一番初めは、私が仕事で留守中に、私の母親が同じくホウキを片手に近所を散歩したのがきっかけだ。以降、私も母を見習い、次女からの申し出があればホウキを片手に散歩や神社に遊びに行っている。

 

次女がホウキを持って外に出たがるのは訳がある。それは「いい風があったら、風に乗ってホウキで飛びたいから」だ。映画「魔女の宅急便」の影響だ。

私はこの手の子供への「お付き合い」はさして苦にはならない。例えば、長女に作ってもらったビーズのアクセサリーを、服装にあってなくてもつけ、神社や近所のスーパーぐらいだったら、抵抗なく出歩ける私だ。

けれども、夫は違うようだ。夫にこの話をしたら、「恥ずかして、俺だったら絶対しないよ」との話だった。

 

もっとも、私もすべてにおいて「人目」や「見た目」「利便性」「自分の興味やこだわり」等を無視して、子供に合わせているわけではない。一応線引きがある。あるにはあるが、その線引きは極めてあいまいで、かつ子供よりだ。

想像するに、これには私の父親の影響があるように思う。私の父は、私たち兄弟が幼稚園や学校、課外授業で作った作品を日常的に使ってくれる人だった。兄が作った焼き物も鉛筆立てとして長らく日常使いしていた。おそらく全く興味がなかったであろうドラえもんの映画にも毎年連れて行ってくれていた。

そうしてもう一つ、今でもよく覚えているのが父の通勤カバンに貼られていたシールだ。私が学校でもらってきた「よくできたでしょう」のシールを、長らく(次のカバンを買い替えるまで)通勤カバンにつけたままにしてくれたのだ。

 

とは言え、私も常に「子供より」ではいられない。

先日も、ネットを娘たちを眺めながらパジャマを探していた。次女が「恐竜のパジャマが欲しい」と言い出したからだ。一緒に、長女のパジャマも探したのだけれど、長女の希望は「プリキュア」だった。とっさに「えー、今のプリキュア見てないじゃん」と難色を示してしまった。たまたま私の父が隣にいたため、私の言動を注意してくれ、私は反省し長女に頭を下げて謝った。

ただ、内心は今でも「プリキュアはなしだな」と正直思っている。長女の年齢(小学2年)と、普遍性のないキャラクターが理由だ。

 

どこまで子供の意見を尊重し、どこまで親の意見を押し通すのか。

子供意見を100%聞き入れるのは不可能だ。

TPOもあるし、経済的な問題もある、物理的な問題(サイズが展開していない、店頭に在庫がない等)もある。

子供の意見と大人の意見の線引きは本当に難しいなとつくづく思う。