愛の証明のための踏み絵としての「避妊をしない性行為」
個人的に非常に気になる話題に関するエントリーを見つけた。
#とくダネ
— 助産師まゆさん@9/16出産 (@mayu244ts) 2020年10月9日
で緊急避妊薬の薬局販売のニュース💡
小倉さん「でもさぁ、旦那さんは子供欲しいと思ってて奥さんは欲しくないとして、表面上子作りするフリして影で緊急避妊薬飲んだりとかできちゃうわけでしょ?」
カズレーザー「いや、それは家庭の問題…」
ナイス突っ込み👍
まず前提として、私は件のテレビのやり取りを、私は直接テレビでは見ていない。
件のエントリーの返信欄には、MCである小倉さんのコメントがいかに頓珍漢であかを指摘するコメント並んでおり、カズレーザーさんの突っ込みを称賛する声があふれている。
ただ、個人的には小倉さんの発言は、ある意味もっともな指摘であり、これを「家庭の問題」だけで片づけてよいのだろうか、とも思っている。
「緊急避妊薬が必要」な状況とは、「性行為に同意があったか否かにかかわらず」男女ともに、もしくは女性のみが「妊娠を望んでいない」状況である。
まだまだ避妊と言えば、男性主体のコンドームが主流だ。
それはすなわち、
「男性に女性が避妊をしてほしいと言えなかった」もしくは、
「言っても聞き言えれてもらえなかった」
「聞き言えれてもらえなかったので性行為を中断するという選択肢が持てなかった」
と言う意味でもある。
さて「望まない妊娠」と聞いて、思いつく理由としては、
- 暴力を伴った強制的な性交
- お酒や薬の力を借りた、同意のない性交
- 立場を利用した、同意のない(断りずらい状況・関係性も含む)性交
- 相手からの好意や、相手への好意から、関係性が壊れるのを恐れ、断れなかった性交
- 性交後、気が変わった。状況が変わって、産み・育てられなくなった。その自信がなくなった。
等がある。
1と2は明確な犯罪行為だ。3も裁判に持ち込めば罪に問えるかもしれない。けれども、4はもちろんのこと、5は男女共に同意の上での性行為であるのであれば、罪には問えない。責任も問えない。
ただ、私は思うのだ。
いざとなったとき。例え同意の上での性交であったとしても。「避妊してほしい」と言えない女性はきっといるはずで。
勇気を出して「避妊してほしい」と言った際、男性からあからさま拒絶までいかないまでも、否定的な反応をされ、一瞬でもひるんでしまう女性はきっとたくさんいるのではないだろうか。
例えば、
- 嫌な顔をされたり
- ため息をつかれたり
- 舌打ちを打たれたり
- 傷ついた顔をされたり
- 残念な顔をされたり
そんな態度や表情を見せられたがために、「じゃあやめましょう」「ゴムつけてくれなきゃダメ」と強く出れない女性はきっとたくさんいるのではないだろうか、と私は想像する。
そもそも私たちは、本当の意味で、自分が嫌だと思うことを「断る」学習も訓練をしていない。
学校では道徳の授業で「相手を傷つけないための言動」の正解を学ばぶ。
幼少期でも、「友達から使っているおもちゃを貸してと言われたら貸す」ように親や先生から口酸っぱく言われる。
きっと私が自分に自信がなく、相手の言動や顔色に左右されやすいがための疑問なのかもしれないけれども。
件のエントリー記事のコメント欄にこんなコメントが寄せられている。
differential セックスした後に夫に内緒で緊急避妊薬を飲まなきゃ、と思う状況なら、そのセックスはかなり家庭内レイプに近いものなのでは…小倉さんとやらは何者なの?
確かにその通りなのだろうけれども。
男性にとって「避妊をしない性行為」はある種の、愛の証明のための踏み絵のような意味合いもある。
故にいざと言うとき「避妊して」と女性が言えない、言いずらい空気は実際にあるように私は思う。
性教育の現場において「避妊の知識」はもちろんのこと、人としてのマナーとして
女性は「妊娠したくなかったら避妊して」とはっきり言う。
相手が避妊してくれなかったら、性行為を中断する。
男性は「避妊してと言われたら、素直にする。その際、嫌な顔や態度をしない」をっ徹底するように教育すべきだ。