環境を変えるために、自分が我慢をしてしまう矛盾。
機嫌はいつだって良いほうがいい。
それは母親に限らない。父親だって、子供だって。おじいちゃんだって、おばあちゃんだって。上司だって、部下だって。先生だって、生徒だって機嫌が良いに越したことはない。
以前書かれた記事を改めて思い出した。
「家が解放される場所なのは良いことだけどさ、最低限のマナーってあるよね?自分の機嫌は自分で取りなさい。みやぞんも言ってたでしょ、自分の機嫌は自分で取るって。一緒の空間にいる人が嫌な気分にならない程度の態度は、意識したら取れるでしょ?」
「自分の機嫌は自分でとる」
初めて耳にしてから、とても耳に残っているフレーズだ。
けれども、今の私はそれがとても苦手だ。
学生時代の私は友人や親に自分の悪感情を巻き散らすタイプではなかった、と私は思っている。
イライラやストレスの対処方法として、よく聞くのが
- たっぷり寝る。
- おいしいものを味わって食べる。
- ゆっくりお風呂に入る。
- 人の時間を持つ。
- 家族や友人と話す。
等の、リフレッシュ方法についての言及だ。
今思い返すと、学生時代の私には、一人の時間はたっぷりあったし、母親の作ったおいしい料理を一日一食は確実に食べれて(時に自分の好みのメニューでなくとも)いたし、ゆっくり一人で寝られる毎日を送れていられた。人数は少ないが、心を許せ何でも話せる友人が身近にいた。
けれども今の私はどうだろう。
なかなかそれらの実行が難しく、特別仕事を始めてからはその難しさに固執してしまうようになったように思う。
以前、次女の通う幼稚園でのPTAの講演会の際、個別にこんな相談をした。
「イライラしてしまって、自分の感情をコントロールできない」
「アンガーマネージメントについて、ネット等でかじって勉強はしたが、いざと言うと実践できない」
すると、心理士の先生からこんな回答をもらった。
「イライラしてしまうのは、その環境にあなたが限界を感じているから。まずは、環境を変えたほうがよいですよ」
けれども、私はそこで立ち止まってしまった。
「夫を頼らず、子供に期待せず、環境を変えるためには、自分が我慢しするほうが楽」とついつい考えがちだからだ。それはそれで、本末転倒である。
「変化や工夫」を「自分が我慢する」ととらえてしまいがちなのだ。
その変化や工夫を「楽しむ」ことができない。
自分自身がマイペースで、オンオフがへたくそで、緩急がつけられないからだ。
贅沢な欲求であるのは十分承知の上で。
睡眠時間はしっかり取りたいし、自分のタイミングで一人の時間も欲しい。ご飯も好きなものをゆっくりと味わいたい。子供たちにも笑顔でいてもらいたい。
けれどもそれは、子供がいると難しく、家事をしているともっと難しく、仕事しているとさらに難しくなる。
ゆえに、何かを得るために、ついついどこかを我慢してしまう自分がいる。