現場にいる第三者からは「いじめやハラスメント」には見えない、と言う不思議。
傍から見たら、明らかなNG行為が、現場の人間には「普通」であったり「良い関係の象徴」として映る、不思議な現象がある。
例えば、生徒同士のいじめを目にした教師が「生徒同士で仲良くじゃれあっている、ふざけあっていると思った」と発言してみたり。
父親からモラハラを受けている母親を前に娘が「私の両親は仲が良い」と主張してみたり。
それは加害者側が巧み周囲をだましていたり、被害者側が自分を守るために演技をしていたりで、実態が明るみに出にくいというのはあるのかもしれないけれども。
全く完璧に周囲をだますのは難しく、そのほころびはどこかに出ているはずだ。けれども、周囲の人間は気が付かない。気が付いてもあえて口にて指摘しない。問題定義をしない。
非常に考えさせられ、大いに共感する記事を読んだ。
全くその通りだと、私も思う。
もっと言えば、私たちの中に「歪な上下関係をよし」とする空気や価値観があるからこその問題なのだろうなとも思った。
- いじり
- 過度な暴力を伴ったじゃれあい
- 愛のある暴力・説教
- 目上の人間が目をかけている目下の人間にさせるつかいっぱしり
- 命令する側とされる側の固定化
等々が、「仲の良さ」や「関係の良好さ」とされてしまうのも、問題なのではないだろうか、と私には思えてならない。