メディア(ネットとテレビ)と育児
我が家のかかりつけの小児科の壁に、以前このようなポスターが貼られていた。
上の娘が生まれたばかりの頃、娘は回数も頻回だったことに加え、一回の授乳で1時間近く乳首を離さないこともざらだった。
初めての育児で右も左もわからず、入院時からスマホを片手に、「新生児 寝ない」「新生児 泣き止まない」などといったキーワードで、頻繁に検索をかけていたことを思い出した。
一方で、産後実家にお世話になっていた際、父親から授乳中のテレビの視聴に関して苦言を呈されてもいた。
けれども、結局はテレビもスマホもやめることができなかった。
今でも下の娘の授乳中は、頭を撫で色々と話しかけながらも、娘が寝てしまったり視線がこちらを向いていない時などは、携帯(スマホはやめてしまったので)をいじったり、テレビを眺めたり、読書をしたり、新聞を読んだりしながら過ごしている。
育児中、私がネットやテレビがやめられない理由。
スマホ育児という言葉がある。
「スマホに育児をさせている」という意味と、「スマホをしながら育児をしている」という、二つの意味があるらしい。
前者にも、後者にも身に覚えが私にはおおいにある。
スマホではないが、テレビやPCの動画を要所要所私たち大人の都合で利用してしまっているからだ。
夕食作りなどの家事に集中したいとき、下の娘の授乳中などに、上の娘の気を逸らすためにテレビを見せてしまう。
そうして私自身も、自分の手が空いているにもかかわらず、娘たちの隙を見て(一人遊びをしているときなど)、息抜きと称してついついリモコンやPCに手を伸ばしてしまう。
なぜ、こんなにもネットやテレビがやめられないのだろうか??
言い訳だが、ネットやテレビは私の日常生活の中に、しっかりと根付いてしまっているからだ、と私は思っている。
私にとって、ネットやテレビは手軽な情報収集の手段であるとともに、長年続けてきた趣味であり娯楽でもある。
物理的にそれらを日常生活から切り離さない限り(ネットを解約する、PCや携帯を隠す、テレビをリビングに置かないなど)、スマホ育児から卒業することは、私にはなかなか難しいだろう。
ネットとテレビの付き合い方について思うこと
「スマホ育児」の問題点は、親の手が空いているにもかかわらず、親や子供がメディアに触れてしまうことだろう。
家庭育児の醍醐味は、子供の成長を日々実感できること、毎日ゆったりとした気持ちで育児に専念できること、だと私は思っている。
おそらく「スマホ育児」のその先には、虐待(ネグレクト)に繋がってしまう危険性がはらんでいるのからこその、問題定義なのだろう。
とはいえ、家庭育児とは言っても、子供の相手ばかりはしていられないのが現実だ。
家事だけではない、自分の心と体の健康のために休息の時間も大事だと私は思っている。けれども、子供が起きている限り、この休息の時間にネットやテレビを利用することはふさわしくないとされている。
けれどもどうだろう。PCを使った仕事や家事(家計管理など)も存在するし、Web上で読書もできる。テレビでニュースや社会問題を扱ったドキュメンタリーを見ることで勉強もできる。
そもそも、世の母親たちの多くも育児をしながらも、家事をしたり仕事をしたり、資格の勉強をしたり、ハンドメイドなどの趣味をしたりと、その隙間時間(寝ている時ばかりでなく、一人遊びをしているときなども含め)に、ネットやテレビ以外のことでしていることはたくさんあるのではないだろうか。
日常生活の中で、皆が皆常に子供にかかりきりなっているのわけではないのでは??と思うのだ。
だからこそ、思ってしまう。ものすごい屁理屈だとも思うのだけれども。
ネットやテレビがダメで、家事や仕事、読書はいいのはなぜなのだろうか??と。