日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

好き嫌いはないほうが、作る方は単純に楽だし楽しい。

アレルギーではない、食の好き嫌いについて。

私は、単純にないほうが作り手としては楽だし、楽しいよな、と思っている。小学校では「食育」として給食の完食にうるさかったのもあるかもしれない。特別「残飯」については、色々と言われた記憶もある。

すくなくとも、アレルギーではない、単なる好き嫌いは「面倒くさいな」と思ってはいる。ゆえに、なければないに越したことはない、が私の素直な気持ちだ。

 

だが、世間一般的には、好き嫌いについてひどく寛容らしい。

話を要約すると。

  • 日頃偏食の夫に、夫の嫌いなメニューを夫の偏食を改善する目的のもと、いろい色工夫をしつつ出し続けていた。
  • その日は、嫌いなメニューがメインだった。
  • 夫は食べはしたが半分以上残した。
  • それを見て、子供(おそらく幼児)が注意し、投稿主もそれに乗っかるように注意した。
  • 夫が切れた。
  • 夫が当てつけの様に食事を半分以上残した状態で席を立ち、コンビニに行きサンドイッチを買ってきて(おそらく)その場で食べた。
  • 投稿主が切れた。

投稿主は、純粋に「私は正しい」「夫が切れる理由がわからない」と疑問を投げている。

 

件の投稿に対し投稿主を擁護する声はほとんどない。夫の偏食の詳細がないも手伝ってそれぞれに「食べたら吐いた」と言う、極端な話を皆持ち出し、投稿主を全力で批判しあっている状況だ。

 

だが、長女の偏食に振り回されている私としては、「作り手としては、好き嫌いはないに越した方がいいよね」と思っている。

料理を作る人間は、皆、家族の好き嫌いの全てを考慮して作っているのだろうか。もし、相手の嫌いが自分の好きだった場合。それを避けて献立を考えているのだろうか。

 

もちろん、嫌いな料理を食べるのを強要するのは、良くないと私も思う。

だが、それでは作る楽しみがそがれてしまう。それに、単純に手間だろう。その人だけに別メニューが「普通」とされるのも、違う気がする。料理を作る人間に人権はないのだろうか、とひねくれた言葉も考えてしまった。

 

きっと、理想は、配慮はされるべきなのだろう。

だが、自分自身が配慮された経験が乏しいゆえに、それが自然にできないだけなのかもしれない。