日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

2019-01-01から1年間の記事一覧

「指示待ち中」の意思表示していますか?

私だって超能力者ではないのだ。 黙ってソファーでテレビを見ている夫が実は、 「一息ついたら食器を洗いたい。」とか、 「洗濯物を干すのを手伝いたいけれども、子供たちが膝に乗っていて動けない。」とか、 「自分は掃除が必要なほど散らかっているとは思…

小1の長女から「妹ばっかりズルイ」と言われて。

そもそも自分自身が「褒められる育児」や「褒められる教育」を受けていないのだ。 親である自分が、努力と心掛けは今後も続けるにしても、 「完全な平等(主観的にも客観的にも)」 を親も子供も求めすぎない、がある意味大事なのかな、とも思う。

「一夜の過ち」と酒に酔った勢いのセックスを肯定する人々。

一般論として、 「自分の意思で酒を飲み、結果意識を失い酩酊した女性」が自分の意思に反して異性と性行為に至った場合、この女性は性被害に遭ったとは言わない。 少なくとも、相手の男性は「レイプした」とは考えない。 当の女性も、「失敗した」とは思って…

伊藤詩織さんの事件について、「理想的」な被害者を求める人々。

被害者の行動や服装、職業選択の制限などが一番の改善策であり、防止策であってはならない。 そう声を大にして言える社会であってほしいと心から願う私だ。

車社会である地方都市で「車の運転に向いていない人」が車を運転する意味。

車社会である地方都市では、生活の足として車は欠かせない存在だ。 だからこそ、日々必要に迫られて運転している人の中には、自分の運転技術の未熟さを自覚し「できれば運転したくない人」や、客観的に見て「できれば運転してほしくない人」がもっと潜在的に…

夫の家事・育児の優先度が下がると、私のそれが上がる。

当然と言えば、当然の話ではあるのだけれども。 夫の家事・育児の優先度が下がると、私の家事・育児の優先度は上がる。

ただ「そこにいる」と言う名の育児。

時折、「そこにいる」だけで、何も手も口も動かしていなくても、育児しているのかも、と思う時がある。 ただ、悲しいかな、その「そこにいる」重要性を、周囲の人間に認識してもらえないのは、やはり悲しい。

「察して行動してもらえる」と単純に嬉しい。

「言葉に表してはっきりと伝える」のは、単純に面倒だし、気も使う。頭も使う。言葉も、タイミングも考えなければいけない。 だから、こちらが言葉を発せずとも「察して行動して欲しい」と思うのは、人間として本能的に「おかしな」感覚ではないと、個人的に…

夫の飲み会はなぜ急に聞かされるのか。

上の娘がまだ小さく、私とのお風呂を極端に嫌がっていた頃は、極力飲み会には参加せず、した時も早めに帰宅して出発前にお風呂に入れるなどの気配りがあったのもあって、その気配りを当たり前のように「しなくなった」今、余計モヤモヤしてしまうのかもしれ…

自分の中にある「らしさ」への括り。

下の娘は女の子だから「仮面ライダー」はナシで、「アナと雪の女王2」はアリだと、私は思っているのだろうか??

それでも「母親」は辞められない。

痛みや罰をのもなわなくとも、子供に「望ましい行動」へ導くのは可能だ。 だが、これらの「ライフハック」や「ほんのひと工夫」を実行に移すのは簡単ではない。 根気もいるし、手間もかかる。 だから人は時として口だけで言い聞かせようとして感情的になり、…

父親と親権

離婚の相談を受けて、「子供から父親を、母親を取り上げてもよいの??」と疑問、っ感想を持てば、共同親権に傾く。 逆に「子供にとって、そんな父親、母親必要??」との疑問、感想を持てば、単独親権に傾く。

犯罪といたずらの境界線。

当人にはまだまだ「性的な意味での悪気」はないのだろう。だから、私の反応が大げさだったのかなぁ、と思いつつ。 「大人がやったら犯罪」なのだから、大げさなくらいがいいのかなとも思う気持ちを、まだ引きずっている私だ。

子供の意見と、親の主義・好み・願望の折り合い。

ありとあらゆる場面において、子供の選択肢から「らしさ」「こうあってほしい」などの親の主義・好み・願望を排除はできない。 できないのが大前提であって、現実はその中で「できるだけ」子供の意思を尊重するのが現実だ。

子供の入院の付き添いについて考える。

病院側は、「親の付き添いありき」で患児の入院を想定しているきらいがある。 そこに、この「子供の入院の付き添い問題」の問題点が集約されているように、私には思えてならない。 故に、付き添い保護者への配慮に欠けるのだ。

教育虐待~他者の問題を自分と切り離す難しさ。

子供が学業やスポーツで成功すれば、子供以上に親がフューチャーされているのが現代日本のお約束でもある。 私たち世間もまた、「他人の子供の成功を親の成功と切り離す」ことができていないのだ。 親自身が、自分の子供の問題を自分と切り離して考えられな…

「良い妻は夫に寛容大である」という呪縛。

「夫に寛容な妻」が「夫に不寛容な妻」を批判する際の語調や言い回しに、どこか高圧的で、居丈高で、上から目線で、威圧的なニュアンスを感じてしまい、違和感を覚えてならない私がいる。

育児中の主婦が週5日働かない理由。

育児中の主婦にとって、休日は休日ではない。 だから、平日に自分のための時間を確保するため、週5日ではなく、週3日4日働く選択をする。

夫がする家事・育児にこだわりたくなる理由。

私が夫がする家事・育児にこだわるのは、夫が私がする家事・育児にこだわるからなのかもしれない。

自己肯定感を高めるのは難しい、と認める。

他人からの日々にの言動で、自分の自己肯定感を高めるのを期待するのは不可能だ。 変わるためには、自分が行動するか、考え方を改めるしかできない。 皮肉だが、現実はその行動力、変わる勇気が持てないが故に、自分に自信がなく、好きになれないのだけれど…

謝罪の言葉を要求したくなった話。

自分から謝罪の言葉を要求するのも可笑しな気がする。そんな時は、どう気持ちを持っていけばよいのだろうか。

実家依存症~夫の求める正解はワンオペ育児

妻の「実家依存症」批判の陰には、世間からの「ワンオペ育児」への肯定と、「母親は楽をしてはいけない」「母親は苦労をしなければいけない」などの思い込みや圧がある。

誰かのために作る料理。自分のために作る料理。

自分の食べたいものって、何だろう。 作り手が常に自分だと、「簡単なもの」「安上がりなもの」をついつい選んでしまいがちだ。けれども、それは決して「本当に自分が食べたいもの」ではない。

性的表現や、女性蔑視な表現は「不快」と教えるべき、なのかもしれない。

「恥ずかしい」や「不快」という人の感情を強制するのはとても難しい。 何が「恥ずかしい」で何が「不快」であるかの線引きも曖昧だ。 でも、教育として、何かを教えていかなければいけないのかな、と個人的には思えてならない。

「手を出さない、だから口も出さない」は可能か??

いつも疑問に思うのだけれども。 「手を出さない、だから口も出さない」は可能なのだろうか?? おそらく、相手に能力と、心と体の余裕があれば、可能なのだろう。 もしくは、全く相手に興味・関心がないか。

携帯電話を携帯しない人。鳴っても気が付かない人。

携帯を携帯しない人の単なる言い訳です。

とっさの時に出るもの。愛の鞭と、暴力の違い。

手を繋いでいた子供が、手を振り払い急に車道に飛び出そうとしたら、あなたはどうしますか??

「躾ができない」という悩みは理解されない。

「躾ができない」との質問に「できないなら、こうすればいい」とのアドバイスは存在しない。 必ず「○○すれば、絶対子供は言うことを聞くようになる」のような回答が帰って来る。

自分がされて嫌なことを、相手に伝える難しさ

「自分がされて嫌なことを、相手に伝える」 のはとても難しいな、とつくづく思う。 いや「伝える」ではなく「理解させる」と表現したほうが正しいのかもしれない。

自分がされて嫌なことは、相手にしない

「自分がされて嫌なことは相手に、しない。相手がされて嫌かもしれないことも、相手にしない」をお互い徹底できたら、多くの人にとって生きやすい世の中になるのかもしれない。