2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
ありとあらゆる場面において、子供の選択肢から「らしさ」「こうあってほしい」などの親の主義・好み・願望を排除はできない。 できないのが大前提であって、現実はその中で「できるだけ」子供の意思を尊重するのが現実だ。
病院側は、「親の付き添いありき」で患児の入院を想定しているきらいがある。 そこに、この「子供の入院の付き添い問題」の問題点が集約されているように、私には思えてならない。 故に、付き添い保護者への配慮に欠けるのだ。
子供が学業やスポーツで成功すれば、子供以上に親がフューチャーされているのが現代日本のお約束でもある。 私たち世間もまた、「他人の子供の成功を親の成功と切り離す」ことができていないのだ。 親自身が、自分の子供の問題を自分と切り離して考えられな…
「夫に寛容な妻」が「夫に不寛容な妻」を批判する際の語調や言い回しに、どこか高圧的で、居丈高で、上から目線で、威圧的なニュアンスを感じてしまい、違和感を覚えてならない私がいる。
育児中の主婦にとって、休日は休日ではない。 だから、平日に自分のための時間を確保するため、週5日ではなく、週3日4日働く選択をする。
私が夫がする家事・育児にこだわるのは、夫が私がする家事・育児にこだわるからなのかもしれない。
他人からの日々にの言動で、自分の自己肯定感を高めるのを期待するのは不可能だ。 変わるためには、自分が行動するか、考え方を改めるしかできない。 皮肉だが、現実はその行動力、変わる勇気が持てないが故に、自分に自信がなく、好きになれないのだけれど…
自分から謝罪の言葉を要求するのも可笑しな気がする。そんな時は、どう気持ちを持っていけばよいのだろうか。
妻の「実家依存症」批判の陰には、世間からの「ワンオペ育児」への肯定と、「母親は楽をしてはいけない」「母親は苦労をしなければいけない」などの思い込みや圧がある。
自分の食べたいものって、何だろう。 作り手が常に自分だと、「簡単なもの」「安上がりなもの」をついつい選んでしまいがちだ。けれども、それは決して「本当に自分が食べたいもの」ではない。
「恥ずかしい」や「不快」という人の感情を強制するのはとても難しい。 何が「恥ずかしい」で何が「不快」であるかの線引きも曖昧だ。 でも、教育として、何かを教えていかなければいけないのかな、と個人的には思えてならない。
いつも疑問に思うのだけれども。 「手を出さない、だから口も出さない」は可能なのだろうか?? おそらく、相手に能力と、心と体の余裕があれば、可能なのだろう。 もしくは、全く相手に興味・関心がないか。