日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

「妻の飯がマズくて離婚したい」における妥協案

先日にも言及した漫画「妻の飯がマズくて離婚したい」が完結した影響が、漫画にまつわるに記事が更新されている。

上記の記事のコメント欄や、その他この漫画に関する記事から総合するに、この漫画の問題は「妻の料理がマズイ」ではなく、

  • 妻が夫の価値観を受け入れない
  • 妻が自分の価値観に凝り固まっている
  • 妻が自身の欠点を自覚しながらも改善する努力をしていない

点であると言える。

 

ただ、日々の料理に色々と悩みを抱えている私としては、「妻」だけを批判する気にはどうしてもなれない。

夫は料理にあまり頓着がなく、「味」もさることながら「栄養」についてもあまり関心がなく頼れない。

一方で、私の両親は食にうるさく、「味」だけでなく「手間暇」を料理に求めるタイプだ。

故に、この漫画では妻と夫、両方の気持ちがよくわかる。

 

確かに、漫画内で夫は妻に色々と妥協案を出している。

とは言え、節約をせざる得ない家計状況の中、「お金で解決」は真の妥協案ではない。増えた食費はどこから出るのだろうか。その分、妻である「自分」が稼いでがんばるが答えなのであれば、それは妻にとっての妥協案とは言えない。

「夫が休日作る」であっても、結果予算がオーバーでは、違う気がする。

まだまだ、日本の社会では対外的に「冷凍食品」や「総菜」をメインとした食事に好意的ではない。独身世帯ならいざ知らず、子供がいたらなおのこと「食育」と言う名のもとに「手作り」が推奨されもする。そんな中で、この妻が気軽に選択できる「妥協案」は限られてくる。

 

作中「お金をかけずに手間をかけて」とのワードが出てくる。

夫は、妻の料理味もさることながら、「手間をかけない」と言う料理への姿勢への嫌悪が見て取れる。

だが、仕事をしながら家事育児'(子供は3人もいる)の負担を思うと、「手間暇」で片づけてよいのだろうか、とも私は思う。

 

結局は、妥協案と言う名の、「妻が変わる努力」である。そんな一方的な要求が「正しさ」とされるのに、もやっとしているのだと私は思う。