自分がされて嫌なことは、相手にはしないという考え方
先日、上の娘が秋の遠足だった。
けれども目覚まし時計に全く気が付かず、時間ギリギリになって夫に起こされる形になってしまった。
ただでさえあわただしい朝の時間。私は遠足の準備をし、朝食を整え、お弁当を作る。夫はいつもどおり上の娘の食事のサポートや身支度を手伝う。けれども、せわしないだけでない、なんともいえないぴりぴりと張り詰めた空気が、朝から充ち充ちていた。
前日の夜に準備万端整えていればよかったのだけれど、それを怠り、自分の趣味を優先してしまった。ついでに、自分の夕食が遅かったこと、連日娘たちと一緒に寝てしまっていて、夜の純粋な自由時間が持てていなかったことを理由に、夜更かしもしてしまった。
完全に自分に非がある。それは紛れもない事実だ。
そのため、夫の「あと15分早く起きていればこんなにバタバタしなくてもすんだのに」という正論に言葉を返すこともできず、だるさと空腹を抱えたままいつものように娘のお弁当の準備と夫の朝食の準備をした。
けれども一方で、私が寝たのは夫が布団に入った10後だったこと。しかも、寝入りに下の娘が起きてしまい、寝かしつけに手間取ってしまったこと。そうして夜泣きの対応のこともあって(たった一回のことではあるしすぐに寝てくれてはいるのだけれど)、万全ではない体調だった私は、体だけでなく心もひどく疲れてしまったのも事実だった。
自分が許しているのだから、相手からも許されたいと思った私
私の夫にも直してほしいことはいくつかある。つど小出しにして要望は伝えてはいるのだけれど、なかなか改善されないことがいくつかある。
その中の一つに、生理的欲求つまり睡眠に関することがある。
けれども、これに関して私は、自分の意志でどうこうなるものではないのであきらめる努力をしている。
私の夫は、ソファーに座るとものの5分で寝ることができる。例え、娘たちが騒いでいようとも、目の前にやらなければいけない家事が残っていようとも。そうして、一度寝てしまうと、いくら起こしてもすぐには起きない。
そんな時、私は態度には出てしまっているのだろうけれども、夫がいないものとして行動する。例え、いつもの休日の一人時間を存分に楽しんだ後の転寝だったとしても。起きない(起きられない)ものは仕方がないのだ。
どんなに自分がしんどくても、起きない(起きられない)相手に何かを要求することは、ひどくばかげていることだとも思う。
夫に自分と同じ思考・行動を求めること自体が間違っているのだと思う。そうして、夫と私では置かれた状況も、与えられた役割も違う。
けれども、私が不快に思い、常々直して欲しいと思っていることを「仕方がない」と改善する努力や代替案を提示しない夫から、なぜ自分ばかりが責められなければいけないのか・・・・・・
その日、そんな不満を、夫に対して抱いてしまったのも、事実だった。
屁理屈だとも思う。思うのだけれども、心奥底で、こんな本音が渦巻いているが為に、夫に対して素直に反省し、体質改善の努力や対応策を考え実行を徹底するとことが、私にとってとても難しくも思えてしまう。
自分がされて嫌なことは、相手にはしないという考え方。
遠足の日の朝、夫に言われた言葉は図星だった。けれども、私なりの言い分もあった。
そこをぐっとこらえたのは、相手の努力不足で起こった出来事において、自分が何かしらの不利益を被ったとき、例え相手にどんな理由があろうとも、何か言い返されたりしたら面白くないだろうな、と私は思ったからだ。
少なくとも、もし私が夫の立場だったならば・・・・・・
不愉快に思ったはずだ。
けれども、このような考え方をしているせいで、言いたいことも言えず、何かにつけて気持ちを抑え込んでとしてしまう自分がいるのも事実だ。
【反省】娘たちに対しはどうだろうか??
近頃、上の娘が私が起こること(叱ることではない)に過剰に反応するようになってしまった。自分が夫から怒られることには傷つき不満をため込むくせ、自分の娘に対してはひどく矛盾した行動をとってしまっていたのだ。
娘という一人の個人に対して、自分の従属物のように扱っている(そのように動いてくれたほうが自分にとって都合がいいため)という、いやらしい考えもあるようにも思う。
もしかしたら、夫に対して抑え込んでしまっている言葉や気持ちが娘たちに向かっているのだろうか・・・・・・
気持ちを切り替えて、娘たちの言葉と気持ちにもっと向き合っていきたいな、と思った。