体調を崩しているときに、「できる事はするよ」と言われて。
二週間ほど前から体調を崩している。
今はだいぶ体調を持ち直してはいるものの、本調子ではない。私だけではなく、上の娘もまた程度の差こそあれ私と同じ症状に悩まされている。今の季節にありがちな風邪だ。特に咳きがひどく、娘達に申し訳ないなぁと思いつつも、寝かしつけをしながらついマスク越しに娘たちの顔めがけて「ゴホゴホ」とやってしまう。
一番症状が重いのは私だ。マスクをしながら、時々咳きで呼吸困難になりつつ、実家の両親の助けを大いに借りつつ、日常生活を送っている。
送ってはいるものの、本音を言えば、一番体がしんどい時は正直何もしたくないと思っていた。特に食事作り。私個人の非常に偏った感覚なのかもしれないが、たとえマスクをしていたとしても、咳きをゴホゴホさせながら作る自分の料理は、あまり食欲をそそられるものではないだろう。
「できる事はするよ」=「できない事はしないよ」
夫も一時体調が優れず薬に頼る生活の中、いつも以上に家事・育児に協力的な姿勢を見せてくれている。
そうして何かにつけて「できる事はするからね」と声をかけ励ましてくれている。
けれども、その言葉の裏には「自分も大変だけれども、自分なりに頑張っているよ」「でもこれ以上のことはできないよ」という、いい訳じみた本音が見え隠れしている。
夫にはとても感謝している。
感謝しているのだけれども、自分が極限までしんどさを抱えていた時の「できる事はするよ」と言う夫のセリフに、何故か突き放したような冷たい響きを私は感じ取ってしまう。
もしかしたら、頭に「ごめんね」の一言がつくだけで、私の受け取り方も随分違ってきたのかもしれないのだけれども。
夫はサラリーマンだ。出社時間は決まっているし、定時もある。もちろん残業もある。遅刻や早退は積極的には歓迎されない。有給休暇は、暗黙の了解的に冠婚葬祭にのみ適用される。
もっとも、自分も会社員を経験しているので、夫の事情は十分に理解はしている。
しているのだけれど、自分の体がしんどい状態の時「俺はこれから仕事だから」と、あっさりと当然のように外出されてしまうと、えもいわれぬ不快感を感じてしまう自分がいる。
「夫ができる事」「私がして欲しい事」は違う。
当然だが、「夫ができる事」「私がして欲しい事」は違う。
体がしんどいとき、私が夫に求めていたことは、”極力私の負担を減らすための努力”だった。けれども、夫にはその能力も、時間的な余裕も、体力的な余裕もない。だからこその「できる事」なのだろうけれども、その「できる事」の範囲は、私の体調如何にかかわらずあまり変わらない。そこに、睡眠時間や休憩時間を削ったり、自分の仕事を調整したり、苦手意識がある家事・育児(料理と娘たちの寝かしつけ、および下の娘の夜泣きの対応)に積極的に関わろうとしたりする姿勢を、私は見ることができなかった。そうして、その事実に、えもいわれぬ寂しさを私は強く覚えてしまった。
繰り返しになるが、夫はサラリーマンだ。
仕事をするために、家を空けなければならない。
家事・育児をする時間が取れないのは仕方のないことだ。
私も会社員を経験している。当然、夫の事情を十分理解しているのだ。そう、頭では理解している。「仕方のない事」だと。
けれども、自分の心と体が悲鳴を上げているときには、そんな「当たり前」は通用しない。無意識のうちに、夫に”無理”を求めてしまう自分に気づき、自己嫌悪に陥ってしまう。
私が「してほしい事」をストレートに伝えれない理由。
もし同じような愚痴を聞かされたら、多くの人は思うだろう。「どうしてもっと夫に自分の気持ちをぶつけないのか」と。
私が愚痴を聞かされる友人の立場だったらどうだろう。親身になって話を聞き、一通り共感し、最後は励ましの言葉を送って終わりだろう。内心「もっと旦那さんにやらせればいいのに」と思いながら。自分のことは棚に上げて。
自分なりに、理由はいくつかあるのだ。
一つ目は、今までの日常生活中で習慣化してしまった、不満をため込んでしまうという悪癖を、いまだ直すことができていないから。
二つ目は、夫の体力的、物理的、そうして能力的な「できない理由」を考慮せざる得ないから。
三つ目は、家事・育児を積極的にしてくれている夫に対する、申し訳なさがあるから。
そうして、四つ目は、率先してやろうとするそぶりを見せない人間に指示を出すことに、抵抗を感じてしまうからだ。
夫にもっと素直に気持ちを伝えることができれば、それが一番の近道なのだろう。けれども、感情的にならず、非難めいた話口調にならずに、今の気持ちを理路整然と伝えることは、今の私にはまだまだ難しい事だ。
かつて友人にこんなアドバイスをされたことを思い出す。
「旦那がいると思うから、やらない事にイライラするんだよね。いないと思って生活するほうが、精神衛生上良いかもよ」
確かに、今の私の生活は、「夫ありき」で成り立っている。けれども、当の夫は仕事で不在がちだ。どんな状況であっても、時間が来れば家出ていくし、決まった時間に帰ってくることもできない。
時折、今現在の「夫ありき」の生活リズム自体が間違いではないか、と思う時がある。気持ちだけでも、「夫はいないものとして」生活していたほうが、気持ち的にも楽なのかもしれない、と思うこともある。けれども、上の娘に関して言えば、夫でしかできない世話(お風呂や着替えなど。私が対応すると激しく嫌がる)がすでに出来上がってしまっている。
もう、時すでに遅しなのだろうか。