日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

家事・育児に効率を求める、ということ。

私は不器用な性格である。おまけに、要領もよくはない。

何かを習得するにも、人よりも時間がかかる。

そうして、そんな自分の性質を、よく理解している。社会に出て、幾度となく、その点を上司や先輩に指摘されてきた。だからこそ、「効率性」に強いこだわりがある。

 

もっとも、実際に、何事にも「効率的」に動けているわけではない。動けているわけではないけれど、常に意識はしている。

 

さて、夫の家事に関する考察として、とても興味深い記事がじわじわと話題になっている。


読者登録しているいくつかのブログでも、様々に取り上げられ、それぞれの立場で感想や考察がなされている。

 

目次

 

家事・育児をイベント実行する夫

夫が仕事で不在の時間は仕方がないとして。朝の時間、帰宅後の時間。そうして、休日。夫には、もっと積極的・主体的に家事・育児をする機会があるにもかかわらず、それを快く自然な行動しない傾向にある。

 

おそらく、それの理由は、妻である私が専業主婦だからだ。

夫は、イベント的な家事・育児はしても、それに付随するこまごまとした「名前のない家事・育児」に気を留める必要性を感じていない。

 

そのため、目につく名前の付いた家事が終わっていることを知ると、真っ先に「自分のためだけ」に自由に時間を使う。

 

家事・育児を「効率的」に心地よく取り組めるようにするための、優先順位の低い家事はめったにやらない。

 

 

「効率的」であることはよい事だと思っている夫と私

一方で、夫は休日気まぐれに家事・育児を自ら率先して取り組む際「だってそのほうが効率的じゃない」と口癖のように言う。

けれども、この口癖が夫の口から出てくるのは、家族で出かける用事や予定がある時に限られる。

どうやら夫にとって、差し迫った何かがなければ、休日の家の中では必ずしも「効率的」である必要はない、らしい。

とは言え、「効率的」であることはよい事だ、と夫自身も私同様に思っているようだ。

 

 

私が夫に主体的な「家事・育児」を望む理由

私の場合、私自身のキャパが小さいがために、時に精神的・肉体的にしんどくなってしまうから。

そもそも、段取りを組み、的確に指示を出すことに苦手意識があるから。

そうして、なにより家事・育児が効率的に回せないことに、ストレスを感じてしまうから、だ。

 

 もっとも、夫が仕事で不在の場合は「仕方がない」と諦めることができる。仕事を控えた朝の忙しい時間、帰宅後の休息の時間も同様だ。いや、「仕方がない」のではない「できなくて、しなくて当たり前」なのだろう。

 

けれども休日はどうだろうか。

時に食事の準備や子供たちの食事のサポートのために、自分のご飯が後回しになってしまったり。

寝かしつけのために、自分の入浴が後回しになってしまったり。

夫の趣味のための外出や、趣味道具のメンテナンス時間の間に、子供を相手にしながら家事をしていたり。

そんな状況に、何とも言えないモヤモヤを私は感じずにはいられない。夫の言動に矛盾を感じてしまうからだ。

 

なぜならば、それは私にとって「効率的」とは言えないからだ。

もっとも、夫にとってはある意味「効率的」で「快適」ではあるのだろうけれども。

 

 

段取りを組み、的確に指示を出すことが苦手な私

夫が主体的でなくとも、私が段取りを組み、的確に夫に指示を出すことが得意なのであれば、問題はないのかもしない。

けれども、私はこういった作業がとても苦手だ。子供たちに対してさえ、できていないのだ。夫に対し「母親になった気持ちで」優しく教えることは、今の私にはとてもできない。

 

だからと言って、「不機嫌な妻」が許されるわけではないだろう。

ないのだろうけれども、「主体的に」動かない夫に対し、「段取りを組み、的確に指示を出す」ことができない私は、ついつい「不機嫌」をアピールするという安易な手段をとってしまいがちだ。

反省するばかりだ。

 

 

家族みんなにとって、快適で過ごしやすい環境を作り出すことの難しさ

 私は不器用なだけでなく、とても面倒くさがりでもある。

母が掃除が苦手で頓着なかったこともあり、「一般的な」掃除の仕方や、その頻度、目指す完成度もよくわからない。自分に都合よく解釈しているという自覚もある。

 

そのため、正直目指すべき「家族みんなにとって、快適で過ごしやすい環境」がなんなのか、よくわかっていないのだと思う。

 

だからこそ、無駄に自分を追い詰めたり、夫に過剰に期待してしまっているのかもしれない、と思うことが多々ある。

 

父や夫は、何事もほどほどでよいと言う。母も、料理以外の家事に関して、神経質ではない。けれども、何か自分に不都合なことがあれば、父は母に怒り、夫は私に対して不満をぶつける。

 

探している物が見つからない。

消耗品の在庫がない。

靴下の片方がない。

スーツがクリーニングに出してない。返ってきてない。

 

そうしてそれは、夫が家事・育児をするうえでも同じだ。何か不都合なことが起こると、都度意見を言ってくる。

 

洗濯物を干すためのハンガーが足りない。

買い出しの際、冷蔵庫が一杯で食材がうまく入らない。

などなど。

 

夫に家事・育児を求めるということは、夫が気持ちよくか家事・育児ができるように環境を整えることがセットになっている。

 

そこに、面倒くささというか、違和感を私は感じてしまう。

 

だからこそ、私は夫に対して、もっと自分で「考えて」「主体性をもって」家事・育児をしてほしい、と思うのだ。