言いたいけど、言えない。
何かをしてほしいとき、手伝ってほしいとき、私ははっきり口に出してお願いできない時がある。
自分が疲れていて、かつこれからやらなければいけないことで頭がいっぱいの時。
そうして、その”してほしいこと”が、自分の”仕事”であると思っているとき。
そうして、お願いしたい相手の手が明らかに空いているように見える時だ。
察してちゃん、という言葉がある。
私も、どちらかというと察してちゃん、なのだと思う。
もっとも、態度や表情であからさまに不満などを表してしまっている時も多々あるのだけれど。
夫は言う。
かつての上司や同僚からの指摘もあった。
友人からの助言もあった。
「しんどいんだったら、変わってほしいんだったら、助けてほしいんだったら、ちゃんと口で言わなきゃ」と。
でも実際に、助けを求めたらどうだったか??
「口しなければ、伝わらないよ」
と、人は言う。
でも、それができない。いや、違う。
私の場合、面倒くさいことに、家庭の中では顔や態度には、思いっきり出す。
一方で、口では素直には言えない。言葉にするときには、すでに負の感情をため込んでいることが多い。だから、言葉や表現が荒々しくなる。
職場ではどうだったか。不満をため込んで、ため込んで、体調を崩すことも多かった。
なぜ言えないのか。
一つは、断られる、気分を害される、かもしれないから。
一つは、 そもそも話を聞いてもらえない、かもしれないから。
一つは、そもそも、その「してほしいこと」は自分の自己満足、かもしれないから。
一つは、相手がさも当然のように「してくれない、手伝ってくれない」という事実が、逆に自分への無言の圧力のように感じてしまうから。
職場では、上下関係や役割分担がはっきりしている分、まだ我慢できる。いや、不満を抱く余地がない部分もある。
ただ、家庭の中だとどうだろう。夫婦は平等だという理想と、自分は働いていないという現実とのはざまで、不満はむくむくと膨らむばかりだ。
「子供が小さいのだから、手が空いているのだったら、もっと手伝ってほしい!!いや手伝うべきだ!!」
という本音と。
「専業主婦なのだから、家事・育児を全部こなすのは当たり前。手伝ってもらうなんて、甘えてる。」という建前と。
そんな二つの矛盾した思いがぶつかり合って、なかなか素直になれない自分がいる。