何をもって「育児」なのだろうか。
子供の年齢にもよるのだろうけれども。
育児は「24時間体制」と主張する人がいる。
同時に、それを否定する人もいる。
子供が寝ているとき。一人遊びに夢中なとき。テレビに集中しているとき。
親の行動は制限され、いつ呼び出されるかもしれない、この常に「オンコール」な状況を、育児とカウントする人もいる。
同時に、子供に手も頭も向かっていないこの状況を、育児をしていない、とみなす人もいる。
私は前者の人間だ。だから、いつも疲れている。家事に育児にと、座ってお茶を飲む時間もない、わけでもないのに、だ。
子供の性格もあるのかもしれないけれども。
こうして、お茶を飲みながら文章を書いていても、子供に声をかけられ中断。よじ登って膝に上ってこようとする子供のいたずらでデータをうっかり消去。なんてことを繰り返していると、この時間を純粋な「休息の時間」とカウントされてしまうのが、面白くない自分がいる。
自分のための、「食べる」「お風呂に入る」「寝る」時間もそうだ。
子供たちと一緒だと、自分の欲求は十分に満たされていないのに、「済んだ」ことにされてしまう。
育児でもあり、自分の時間でもあるこの時間が、都合よく「自分の時間」よりにカウントされてしまうことへの不満感。
そうして、その不満感は「仕方がない事」とされ、愚痴の対象にもなりにくい。人によっては「微笑ましく」も映るため、愚痴を言うと逆にたしなめられてしまう。
また、子供たちが寝ているとき、一人遊びに夢中なとき、テレビに集中しているときは、家事を心置きなくやることできる絶好の時間でもある。「暇な時間」決してないのだ。
育児を楽しめている人は、きっと後者の人間なのだろう。
オンオフの切り替えが、心も体もきっちりできているからこそ、自分の時間を確保するためにの夫の手助けもそこまで必要としないのかもしれない。