日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。

「(お母さんだから、子供がいるのだから)仕方がないよね」

「あたし、おかあさんだから」という歌詞の子供向けの歌が、数日前から話題になっている。

 

母親である「あたし」の一人称で語られる、子供がいるからこそ生じる生活の変化が、「我慢」という形で描かれているからだ。

 

そもそも、この歌の歌詞はSNSで「母親になったことで我慢をしていること」を募ったうえで考え作られていると言う。「我慢」というマイナスイメージが作品全体を覆っていることは、不思議なことではないだろう。

とはいえ、作者の作詞意図について、賛否両論あるらしく、随分と議論が分かれているようだ。

母親に対して、愛情という名の自己犠牲を求める歌詞の内容。そうして、この歌が子供に向けたのものだったことが問題視されているらしい。

 

 

生きていくうえでの「我慢」

 

私個人の、最初の歌への感想は、「確かに、我慢していることって、あるよなぁ」という単純な共感だった。とわ言え、歌詞に登場するシーン全てへの肯定ではない。

母親になったことで、様々な変化が生まれたことは事実だ。

私の場合、睡眠や食事、入浴など、日常生活全般が自分のペースで回せないことに、イライラや不満を抱いてしまい、後悔と反省の毎日だ。けれども、娘たちとの生活には喜びももちろんある。

一つの布団で三人で寝るとき、狭苦しく寝返りも打てず、無理な姿勢を強いらはれはするものの、娘たちの無邪気な寝顔にはとても癒される。

 

 

おそらく、多くの母親にとってもそうなのだろう。我慢していることもあり、あきらめていることもあり。反対に楽しんでいることもある。それが現実ではないだろうか。

 

そもそも、人間生きていくうえで何かしらの「我慢」を強いられる場面に遭遇することは、ままあることだ。

もしかしたら、まったく我慢せずに生きていられる人もいるのかもしれない。

けれども、ほとんどの人間が大なり小なりの「我慢」をしているのではないだろうか。「母親」でだけではない「父親」や「会社員」「学生」「主婦」そうして「子供」であってもそうだろう。

では、なぜ「母親」の我慢はこんなにも賛否両論分かれるのだろうか??

 

思うに、「母親」の我慢の中には「しなくてもいい我慢」や、「母親だけが強いられるべきではない我慢」などが含まれているからなのではないだろうか?? 

  

積極的な受け入れなのか、消極的な受け入れなのか、我慢なのか・・・・・・

 

そもそも、変化に対する選択肢は我慢だけではない。

「積極的に受け入れる」のか「消極的に受け入れる(あきらめる)」のか「我慢する」のか。受け取り方は様々だ。

けれども、それを選び、その責任を負わされるのは常に「母親」だ。

そこには当然「父親」の姿も存在する。けれども社会的に多くの父親は「仕事」という大義名分のもと、「育児の責任」から、もれなく免除されているケースも多々あるように、私は思う。

少なくとも、「子供がいるから」飲み会に誘うのを控えよう、雑談で会社に引き留めるのはやめよう、子供抜きのイベントに誘うのはやめよう、などといった意識的な行為は女性より男性のほうが少ないのではないだろうか。

 

一方で、テレビや小説で描かれる正しい母親の姿、こうありたいと当の母親自身が思い描く理想の母親像は「変化を積極的に受け入れ」かつ「それらを心の底から楽しんでいる」「笑顔を絶やさない母親」の姿だ。そこには育児は楽しむべきである、というプレッシャーめいた圧力もまた社会全体にあるように思う。

だからこそ、「我慢」というフレーズに多くの母親が過剰に反応してしまうのではないだろうか??

 

 

「私、母親だけど」と胸を張って言うためには

 

私自身は完璧な母親とは程遠い。

朝は弱い。自分の料理の腕にも自信がない。感情の浮き沈みを子供たちに隠し切れず、時には理不尽にぶつけてしまうことも多々ある。

 

私の場合は特に、そんな自分自身の短所に十二分に自覚があるがゆえに、胸を張って「私、お母さんだけど」と続けることができない。

 

 

 個人的にとても強く思ったのだが、「私、お母さんだけど!!」胸を張って言うためには、それなりの条件がそろっている必要があるのではないだろうか??

 

  • 常に主体性をもって率先して家事・育児と動いてくれるパートナーの存在。
  • 経済的ゆとり。
  • 手は出すが口は出さない両親や義理両親が身近にいること。
  • 母親自身の能力や性格。(自分のように、母親としての自分に後ろめたさを感じていては、堂々と開き直ることも難しいように思う)

 

自分が母親として何か我慢せざる得ない状況に陥った時、誰かに助けを求めることが難しく「(お母さんだから、子供がいるのだから)仕方ないよね」と、ため息交じりに自分に言い聞かせねばならない場面が、私にはある。

 

そうして、そこには「子供がいる生活とはそういうものだ」という、社会的圧力に近い思い込みと、身近な人間(夫であったり、自分の両親であったり、夫の両親であったり)の何気ない言葉がけの影響も多きように思う。

そんな時は、愚痴が愚痴として受け止めてもらえず、ガス抜きのつもりが逆にストレスになってしまう。悪循環だ。

 

 

もっと、自分に自信をもって、「私、お母さんだけど」と胸を張って言えように、私もなりたい、と切に思う今日この頃だ。