察しているのだから、察してほしい。
いや「気を使っているのだから、気を使ってほしい」と言うべきか。
私はもとより「察する、気を遣うこと」がとても苦手な人間だ。
学生時代のアルバイトを始め、社会人時代も幾度となく「察すること、気を遣うこと」ができていないと、指摘・注意をされてきた。
それ故、私は「察する、気を遣うこと」はとてもよいと学び、逆に「察しない、気を使えないこと」はとてもよくないと認識するようになった。
男性の、家事・育児に関してしばし「男性は察することができない。いちいち言わなければ気が付かない」と主張する人がいる。
察することが苦手なのは、男性脳の特性であるからだ。
職場で「察することができない、指示待ちの人間」は非難の対象となる。
けれども、家庭内で「察することのできない、指示待ちの夫・父親」は許容される。
この違いが、正直私にはピンとこない。
家庭とは、大黒柱である夫・父親にとって、職場ではなく、リフレッシュのための休息の場、だからだろうか??
少なくとも夫の場合、自分の役割・仕事だから、妻が忙しそうだから、大変だからなどの基準だけで「察して、気を使って」動くことはない。
自分が困るから、自分が不快だから、自分がしたいから、自分の体と心に余裕があるから、などの「自分の気持ちや体調、感覚に正直に」動いている節がある。
けれども夫は「できることはするよ」と私に優しい言葉をかけ「家事・育児は大変だよね、ご苦労様」と共感し、ねぎらう言葉を時折口にする。
大変だな。と心から思っているのであれば。
どうして飲み会で深夜に帰宅し、翌朝の休日(娘の登園登校日)寝坊するのか。
どうして休日私が夕食を作っているときに、子供たちとテレビを見ているのか。
どうして、普段から「一人でお風呂に入りたい」と愚痴をこぼす私に、一人でお風呂に入る機会を作らないのか。
どうして「ご飯を作りたくない、疲れた」と愚痴をこぼす私に向かって「僕が作るよ」とは言わないのか。
どうして「はっきりと言わないと動かない」のか。
私はとても不思議に思う。
多くの夫・父親は会社で「言われたらやる」仕事だけをやるのだろうか??
指示待ち人間の同僚や部下に、根気よく丁寧にいちいち仕事を割り振っているのだろうか??と。
もっと、不思議に思うことがある。
自分が「察してもらって」「気を使ってもらって」いることに、どうして夫は鈍感なんだろう??と。
家事・育児を効率よく回すために、私は先回りをし動くことが多々ある。出来ているかいないかは別として、意識はするようにしている。準備や環境を整えることで、家事・育児が滞りなくこなせるのであれば、越したことはない。
もっと言えば、子供や夫の機嫌がよいほうが、自分にとってとても都合がよく、気持ちよく過ごせるのだ。そのための、努力・工夫も仕事のうちと言っていいのかもしれない。
もし、妻やが母親が「言われたらやる」のスタンスで家事・育児を回していたら・・・・・・
おそらく「はずれ嫁」「ダメ嫁」「ダメ母」究極は「虐待だ!!」と非難されるのではないだろうか??
夫だから、父親だから、家庭だから許される「言われたらやる」だからこそ、引っ掛かりを覚えるのだろうか??
私が「自分の意思ではなく、他人の言動に左右されて」行動を起こすと、時に夫や子供たち、両親から非難や文句を言われるから、もやっとするのだろうか??
夫は日々仕事で疲れている。だから察して、気を使わなければいけない。
頭ではわかっているのだ。
いるのだけれども、「気を使われたい」と思う自分も同時にいる。
自分が女性でありながら気遣いがを苦手としているからこそ沸き起こる、嫉妬心なのだろうか。