手作り品への憧れとあれこれ。
最近、こつこつと幼稚園のバザー出品用の手芸品を作っている。
未使用の日用品という気の利いたものは我が家にはない。
幼稚園からもノルマを課せられているわけでもない。
かと言って、手ぶらで・・・・・・というわけにもいかない。
と言うことで、毎年拙いながらも手芸品を出品することにしている。
目次
裁縫への苦手意識
もっとも、私の学生時代の家庭科の成績は「普通」。特別ミシンの操作に苦手意識があり、普段の生活の中で、ミシンを使うことを極力避けてきた。最後にミシンを使ったのは、ちょうど一年前。同じくバザー出品用の手芸品を作った時だ。
ラインナップは毎年変わらない。マスクとビーズアクセサリーだ。今年は、友人にシュシュとビーズボールのヘアゴム、リボン型のヘアゴムの作り方を習ったので、ラインナップに加える予定だ。
おまけに、娘たちが起きている間のミシンの使用は、トラブルだらけでなかなか進まず。実家でのミシンの使用も結果は同じ。結局娘達を寝かしつけてからの作業となるのだけれども、高頻度で一緒に寝落ちしてしまうので、なかなか時間を作ることができないでいる。
手作り品への強い憧れ
私には手作りの手芸品に対する、強い憧れがある。
私の母親は料理もさることながら、手芸も得意だ。独身時代、料理教室だけでなく洋裁教室にも通っていたと聞く。独学でもいろいろ勉強もしたようだ。一時パッチワークにもハマっていて、私の物から家族のベットカバーまで色々と手作りしていた。おまけに、その完成度も高い。
子供心に、母に作ってもらったバックなどを友達に褒められることは、とても誇らしく思えたのを、今でもよく覚えている。
手作り品にあるのは「愛情」なのか??
世間一般的に、母親の作る料理や手芸品は、子供にとって特別なものとされる。母親の「愛情」が詰まっており、味や完成度の出来、不出来に関係なく、子供に喜ばれるものとされる。
実際に、5歳の上の娘も、私の不出来な作品(入園児に揃えた上履き袋やお弁当袋等々)を、今はそれなりに喜んでくれる。
女の子だからなのか、性格なのか。極力娘の意向を聞いて布やデザインを選んでいることも功を奏しているのかもしれない。知識が不足しているがゆえに、私の作品の不出来に気付いていないだけなのかもしれない。ただ単に、本音を隠しているだけなのかもしれない。理由は定かなではない。
一方、私の母が何でも手作りする一番の理由は「お金がもったいない」だ。自分で作れば何でも安く上がるし、自分好みの布とデザインで仕上げることができる。
母が手作りの料理や手芸品にこだわる理由は「愛情」では決してない。「お金」と「都合のよさ」なのだ。
そうして、それが可能なのは、母に実力とセンスがあるからだ。
けれども、悲しいかな自分が作るとどうだろう。失敗して材料を無駄にしてしまうことも多い。ついつい余分に材料を買い込んでしまい、余らせることも多い。料理はさておき、手芸品の場合は特に、出来がイマイチなことも多い。
自分よがりのイマイチな出来の手作り品に、すべての子供が「愛情」と「喜び」を感じるわけではない、と個人的には思えてならない。
手作り品のデメリット
私個人としては、手作りの品に必ずしもメリットがあるとは思っていない。
もちろん、どんなに残念な出来の物でも、子供は喜ぶという大人は一定数いる。親が心を込めて作ってくれたという事実に、素直に喜ぶ子供も確かにいる。
けれども製作時間をひねり出すことにストレスを抱える親を見るのを快く思わない子供もいるだろう。
自分の希望に合わない布やデザインが採用された結果、満足がいかない仕上がりの作品になってしまったことに、内心がっかりしている子供もいるだろう。
実は私自身がそんな子供だった。
母が作ってくれたものの中で、気に入っているものもあればそうでないものもあったからだ。
既製品のキャラクターモノへの憧れ。ありあわせの生地で作られたものへの密かな嫌悪感。
直接口には出さなかったのは、私が母親にキッパリと「ノー」と言うのが怖かったからだ。聞き入れてもらえないということはわかっていた。諦めていたのだ。
娘には、時と場合にもよるが、できるだけ自分の心に正直でいて欲しいなと強く思う。