夫の休日
夫が休みの日は、少し疲れる。
なぜだろうか??
おそらく、家事に育児にと夫に過剰な期待をしてしまっているからなのだろう。けれども、それらの期待は様々な形で結果裏切られてしまうことがままある。だから、疲れを感じてしまうのだ。
夫は基本平日休みだ。
上の娘は8時に幼稚園に登園していく。上の娘が帰宅するまでの時間(正確には、昼食に間に合うようにと午後1時ごろが目安らしいが)、夫は自分の自由時間だと思っているらしい。
らしいというのは、形式上夫はいつも外出の際私にお伺いを立てるからだ。
また、下の娘はまだ授乳があるため、下の娘の面倒を責任を持って自分だけで見る、という選択肢がそもそもまったくない。そのため、自分は家にいる必要がない(家にいなくても問題ない)と考えているようなのだ。
夫にとっての一人時間
夫にとっての一人の時間は、与えられた当然の権利であるらしい。
一方で、私にとっての一人の時間は、基本もろもろの条件(娘たちを預ける人間の都合はもちろんのこと、娘たちのどちらかが寝ていること、もしくはお腹等が満たされていて機嫌が良いことなど)が揃っているという大前提の下、頭を下げて、相手の都合を優先して、ようやく得られるものだ。
夫が休日の日に外出する際(夫は一人の時間をあまり家ではすごさない)、一応許可をとるような声の掛け方をする。
「今から〇〇へ行っていい??」「〇月〇日、△△へ行ってきたいんだけど・・・・・・」と。
この問いに、私は「嫌だ、行かないで欲しい」とは言いづらい。なぜなら、具体的に私が困ってしまうという論理的な理由がないからだ。あるのは「自分ばっかりずるい!!」「私も一人で外出したい!!」と言う感情論だけだ。
夫が仕事の日は、夫なしでも日中の日常生活を成立させている。(多少の不都合やしんどさは当然伴うが)だからこそ、「嫌だ、行かないで欲しい」と言う返答をすることに、多少のためらいが私にはある。普段できていることを、夫が休日だからと言って「できない」と助けを求めるのは、違うのではないか。自分が楽になるために、夫を束縛するのは、私のわがままではなか、と思ってしまうからだ。
もっとも、毎度毎度快く「いっておいで」と答えられているわけではない。むしろ逆で、言葉を濁すような、はっきりしない態度をとってしまうことのほうが多い。けれども、夫は私の鈍い反応にも目もくれず、そのまま出かけて行ってしまう。
もしかしたら、夫自身も多少の罪悪感や後ろめたさがあるのかもしれない。とはいえ、私には夫がそのような感情を抱きつつひとり時間を楽しんでいるようには、どうしても思えない。
「育児に疲れたママに、一人の時間を作ってあげましょう」という、甘い誘惑
子育てコラムや相談サイト等で、時折見かけるアドバイスの一つに、「育児に疲れたママに、一人の時間を作ってあげましょう」という、お決まりのフレーズがある。
ネットにどっぷりつかってしまっている私は、無意識のうちに夫に過度の期待してしまっているらしい。だからこそ、その期待が裏切られたことに、ひどく落胆してしまうのだ。
娘たちに懐かれているし、育児も家事も積極的なはずの夫だ。「たまには、一人で出かけておいで」と時が来れば言ってくれるに違いない、と・・・・・・
けれども、当の夫にとっては、相当ハードルの高い期待なのだろう。日ごろの仕事の疲れもある。気晴らしもしたい。おまけに下の娘は完全母乳だ。自分の手におえずお手上げ状態の夫の姿も幾度となく見ている。夫にしてみれば、ひどく難しい相談なのかもしれない。
おそらく、夫としては「言わない」のではなく「言えない」のだろう。
私には「言えない」のではなく「言わない」と感じてしまうのだけれど。