「仲間外れと、たまたま声をかけなかった」の違い
これは単なる気持ちの吐き出しだ。
非常に恥ずかしく、そうして情けのない話なのだけれど、先日真夜中にシャワーを浴びながら大人げなく声を出して泣いてしまった。
理由はなんてことないことだった。
プライベートでも親しくしていたママ友が、自分以外のママ友と約束をし遊んでいる場面に偶然出くわし、私が一方的に嫉妬し、傷付き、気まずく思ってしまったのだ。
場の雰囲気的に、子供たちは当然のように一緒に遊びはしたのだけれども、約束をしあっているママ友たちは当然お菓子やジュースを持ち寄り、一緒に食べ(私たち親子も輪の中には入れてもらった)、帰りにはお菓子のお土産を互いに配りあっていた。
仲間外れ、なのかもしれない。
ただの偶然、だったのかもしれない。
結局は自分の解釈次第なのだろうが、人間関係で良くも悪くも色々な経験を積んでしまった私は、「仲間外れ」いうとネガティブな受け止め方を、瞬間的にしてしまった。
「仲間外れ」がつらい理由。
それは、「自分が頭数にすら入っていなかった」「存在自体を思い出してももらえなかった」「友達としてカウントしてもらえなかった」からなのだと思う。
「好意」の反対は「悪意」ではなく「無反応」だと聞いたことがある。
まさしく、「無視」された気分になってしまったのだ。その無視した相手に対し、悲しみ傷付いている自分が、子供の手前「傷ついていない演技」「その場を楽しむふり」をしなければいけなかったことが、とても悲しく、悔しかったのだと思う。(もっとも、上手くできていたかどうかはわからないけれども)
おそらく、少し前から「自分は、ママ友コミュニティーの中で少し浮いている」という自覚があり、そのことについて悩んでいたことも大きいかもしれない。そうして、浮いてしまっている理由にも心当たりがあり、かつ自業自得な部分もあったため、悲しみや素直に怒りを自覚し受け入れることが、怖かったことも大きかったかもしれない。
いい年をした大人であり、母親でもある。
泣くなんて、恥ずかしいし情けないと思う。
けれども、誰かに話しを聞いてほしくてたまらなくなり、衝動的に書いてしまった。
もっと心強くありたい、と改めて強く思った。