日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

子供をおんぶしながら、家事・育児をするということ。

今朝久しぶりに下の娘をおんぶしながら、朝の準備をした。寝起きの愚図りが思いのほか激しかったからだ。

 

  • 洗いかごの中の食器の片づけ。
  • テーブルの清拭。
  • 朝食の準備。
  • 娘の朝の準備の手伝い。
  • 上の娘の髪を整える。
  • 上の娘の幼稚園の準備、身支度の手伝い。

 

夫は「ほっておけ」と言う。言いはするが、自分の朝の準備がある。下の娘にばかりか待ってはいられない。つまり、夫は言葉通り何もしない。

 

愚図る娘をほっておけということは、下の娘の泣き声を我慢して聞き続けろということだ。

 

私はそれがしたくなかった。というか我慢できなかった。

下の娘は2歳だ。体重も14キロある。抱っこひもの限界(36か月15キロ)まであともう少しだ。でも、まだギリギリいける。私はそう判断した。

 

もともとおんぶは嫌いではない。上の娘が生まれたばかりだったころ、早く首が座っておんぶできるようになってほしい、と指折り数えて待っていたほどだ。

 

子供がまだ一人だけの時は、子供のおんぶ=産後のダイエットぐらいに思っていた。両手も空くし、子供の機嫌もよくなる。率的で合理的。良いことづくめだ、と思っていた。

 

でもどうだろう。下の娘が生まれてから、少し意識が変わった。

家事ではないけれども。

上の娘の、幼稚園の集団登園の集合場所までの送り迎えの際、まだ首の座らない下の娘を雨の中ベビーカーで連れて行ったり。首が座ってからも、暑い夏にお互い汗をかきつつおんぶや抱っこで連れて行ったり。寒い今の季節、危なっかしい下の娘と、まだまだ一人では歩かせられない上の娘を、左右同時に手を繋いで連れて行ったり。

 

当たり前に、多くの母親がやっているだろうことが、ひどく非効率的・非合理的に思えることが、ちょっとづつ増えていった。

 

私の心持ちの問題なのだ、と思う。

朝の弱さからくる不機嫌と、要領の悪さからくる空腹(朝食を娘達と一緒に食べないため)と不機嫌からくる、マイナス感情だ。

 

とは言え、夫はそれが当然だと思って、疑いもしない。私の負担だと全く思っていない。自分(夫)は絶対置かれない状況である。そこを第三者である夫が「当たり前」「仕方がない」で済ませてしまうことに、もやっとしてしまう自分がいる。