効率的、合理的なことは、良いことだ。
効率的、合理的なことは、良いことだ、と私は思う。
社会に出て学んだことの中の一つに、「効率的」「合理的」であることへの、圧倒的な正義みたいな社会通念がある。もちろん、例外もあることは百も承知だ。
そうして、夫もまた家事・育児において「効率的」「合理的」であることは、良いことだ、と思っている。
夫の仕事が休みの日で外出の用事がある時や、出社前、帰宅後の在宅時、しばしば夫は私に対して「おれが○○したほうが、効率的だろ」と言って、家事・育児を率先して手伝ってくれる。
けれども一方で、夫の仕事が休みの日で外出の用事がない時など、私が立ち働いているのを傍目にスマフォ片手にソファーから微動だにしないことがしばしある。私がするのはちょっとした家事だ。
- 水切り済みの食器を棚に戻す。
- 乾いた洗濯物をたたむ。
- 生ごみをまとめる。
- 棚や引き出しの中を整理する。
- 子供が散らかしたおもちゃや絵本を片付ける。ごみとおもちゃを分ける。などなど。
子供の相手をしつつの家事は、正直ちょっと面倒くさいなとは思う。
けれども、ソファーに夫が座っているので私は座って休むことはできない。ダイニングの椅子座っていても、子供に邪魔されるので気が休まらない。
だったら・・・・・・と、休息の時間と家事の時間を天秤にかけ、後者の時間を選択したのは私だ。そこには、全体的に見て「効率的に時間を使いたい」という自分の欲求があるからだ。
夫の主張する「効率性」と「合理性」の結果は、自分(夫自身)が楽をするため。
私の考える「効率性」と「合理性」は、自分(私)のみならず、夫や子供たち家族が楽をするため。
この違いに、夫自身が気が付いていない。気が付かないまま「効率性を上げるために、家事・育児をやる自分は偉い」と思っている。
私は専業主婦だ。夫に家事・育児を期待すること自体が間違っているのかもしれない。しれないけれども、「効率性を上げるため」には夫の協力は必要だよなぁ、と思えてならない。