三つ子虐待事件について思うこと。
考えさせられるエントリーを読んだ。三つ子虐待事件に関する記事だ。
いや、考えさせられる、と言うより、今の自分にとってとても耳障りの良い内容だったったというべきか。
我が家は子供が二人しかいないけれども。
しかも、年は学年で4つも離れているけれども。
お互いの、特に自分の実家も近いけれども。
夫の帰りも比較的早く、たとえ遅くなっても9時を回ることはなかったけれども。
それでも、上の娘が生まれたばかりの頃は、夫の帰りを今か今かと待ちわびていたことを、妙に生々しく思い出した。
仕事中の夫に電話をかけ、おおよその帰宅時間を確認する日々。
今となってはきちんと理解できる。その行為が物理的には何の助けにもなりはしないことを。
けれども、子供がどうしても泣き止まず、お風呂もご飯も作れず、途方に暮れていた時。
「夫の声が聞こえること」、
「一人で子供と向き合わなければいけない時間にリミットがあることを知ること」、
に大きな心の安らぎを当時の私は求めていた。
主に母親が起こした虐待事件が起こった時。
そうしてその虐待の背景にそのパートナーである夫の長時間労働が関係していた時。
その当事者である夫はどれだけ責任を感じているのだろうか??
夫に残業を命じていたであろう会社の上司は、
夫を飲み会に誘っていたかもしれない職場の同僚は、
乳幼児がいる社員が過度な長時間労働をしていたことを知っていた労務管理者は会社の責任者は、
何をどう思っていたのだろうか??
「なんてひどい母親なんだ」「母親が死ねばいいのに」と母親を激しく断罪するのだろうか??
「かわいそうだな」「気の毒だったな」と同情するのだろうか??
それとも「仕方がない」と思うのだろうか??
私の夫は、時折「仕事だから仕方がない」と言う。
行きたくもない飲み会も。
残業代のつかない上司との話し合いも。
業者や顧客との雑談の付き合いも。
夫の言いたいことはよくわかる。
分かるのだけれども、その先に妻とその子供に起こる「悲惨な事件」や「取り返しのつかない何か」が待っていてもなお、それは「仕方がないこと」なのだろうか、と問いたい自分がいる。
件の事件では、父親は半年間の育児休暇を取っていたという。
それゆえ、父親は十分に育児に参加していたという意見もある。
けれども、現実はどうだろう。
たとえ育児休暇を父親が取ったとしても、本当にしんどいときにそばにいなければ、それは意味がない。
子供が一人でも、双子でも、三つ子でも。
母親のキャパシティーは人それぞれだ。
育児能力がある人間だけが母親になれるわけではない。
母親が仕事をしていないからと言って、家事・育児の能力が自然と上がるわけでもない。
夫の年収が高いからと言って、夫が激務だからと言って、妻である母親の家事・育児能力が自然と上がるわけでももちろんない。
そもそも「母親は一人で家事・育児ができて当たり前」というワンぺ育児の積極的な肯定こそが、虐待や毒親問題の根底にあるのではないか、と私は思えてならない。