「フラリーマン」と「母親の子供の連れ去り」
「離婚時の母親の子供の連れ去り」についての記事と、夫の「帰宅拒否」「フラリーマン」「プチ家出」についての記事を立て続けに見つけた。
前者の記事に関しては、身勝手な母親の行動に批判的な文章(その表現が非常に難解でもあるが)であったが、後者の記事に関しては、仕事のストレス追いやられた父親の心情を慮った非常に同情的な文章だった。
ただ、個人的には「パートナーから物理的に距離を取る」の面では、やっていることは同じだと考えている。
もっと言えば、「子供の養育する義務を放棄するか否か」の面で見れば、前者の母親の方が、後者の父親より「親の役割」の視点で見れば正しいと、私は考える。
けれども不思議なのに、「フラリーマン」や「帰宅拒否症」の夫に関する文章の中では、夫に対して同情的描かれがちだ。
結果「家庭に自分の居場所がないのだから」と自らATMに成り下がる夫に、世間はどうしてこんなにも寛容的なのだろうか??
書き手側が今現在「長時間労働」かつ「家族を支えるだけの収入を得ている」が故のストレスを抱えている、もしくはその経験がある、身近にそのような厳しい立場にいる人が多いから、なのだろうか??
それとも、読者のニーズがそうさせるのだろうか??
「家事を伴うワンオペ育児は楽」だけれども、「家族を支えるだけの収入を得るための仕事は大変」との認識が、書き手読み手共にあるからだろうか??
一方で、離婚にまつわる「母親の子供の連れ去り」につていは、「犯罪まがいだ」と近年では強い批判を浴びがちだ。
だが、冷静になって考えて欲しい。
主に子供の世話をしているのは母親なのだ。夫と物理的精神的に距離を取りたい、離れて暮らしたいと考えた時、母親が子供を連れて家を出るのは当然と言えば当然だ。
もし、子供を置いて家を出たらどうだろう。
夜遅くまで外出していたらどうだろう。
「母親失格だ」
「育児放棄だ」
「虐待だ」
と品反しないだろうか??裁判や調停の際、不利にならないだろうか??
ならないのであれば、父親の様に批判ではなく「同情」されるのであれば、母親も子供を家において、フラリーウーマン、帰宅拒否、プチ家出ができるのではないだろうか??
もっとも、子供への影響は度外視して、の話にはなってしまうけれども。
ちなみに、主婦が母親が家庭内別居をするのには、色々と条件がそろわないと難しい。
- 部屋数がそれなりにあるか否か。
- 夫、もしくは自分の自室があるか否か。
- 夫が、自主的に自室で過ごしてくれるか否か。
- 同じく夫が、自主的に、帰宅を遅らせたり外出をしてくれるか否か。
等が重要になってくる。
いずれにしろ、より一層家事・育児の負担が母親に偏る結果になる。負担が増えのだから、母親から笑顔が増えはしない。父親が家事・育児をそれなりにになっていたのであればなおさらだ。
もし、父親である夫の不在によって、母親である妻の負担が軽くなるのであれば、それは既に夫がATMと成り下がっていた証拠だ。
であるのであれば、夫は「父親」としての役割を十二分に果たしていないことになる。「母親の子供の連れさり」について、どうこう言える立場ではきっとない。