日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

専業主婦の育児は楽だ、と思われること。

先日、こんな記事を読んだ。

 

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私も専業主婦だ。それ故、と言うべきか。いつもの癖で、色々と考えてしまった。

 

 

専業主婦の育児は楽なのか??

世間一般的に、「専業主婦は楽である(楽であるべきだ)」と言う共通認識があるように私は思う。話題になった「ワンオペ育児」という言葉も、仕事をしていない専業主婦の育児は「ワンオペ育児」にはカウントされないという話も聞く。

そうして、仕事をしていない子育て中の専業主婦の、家事・育児を夫が手伝うことを、否定的にとらえる人もまだまだ多いとも聞く。

 

実際、仕事をしながらの育児のほうが当然大変だと思う。

思うとしか表現できないのは、自分が働きながら子育てをした経験がないからだ。

とはいえ、日々疲れて帰ってくる夫を見るにつけ、そうしてかつての自分の会社員生活を思い返してみるにつけ、「仕事は大変である」という認識はゆるぎない事実として自分の中に確かに存在している。だからこそ、仕事をしながらの育児は大変だ、と心の底から思うことはできるし、ワーキングマザーを私はとても尊敬している。

 

 

だけれども。だからといって、「専業主婦の育児は楽か」と問われたらどうだろう??

少なくとも、キャパが狭く、要領も悪く、体力もなく、インドア派で(外遊びに付き合うのが嫌い)、イライラしやすい私の答えは、「ノー」だ。

四六時中常に忙しいわけではない。毎日イライラしているわけでもない。ないのだけれど、私にとっての娘達との毎日は、常に楽なわけでもなければ、楽しいわけでもないのも、また事実だ。

 

好きなテレビ番組をリアルタイムで見ることもできないし、落ち着いて読書もできない。

ソファーに座って熱いお茶を好きなタイミングで飲むこともできない。

子供達が起きている間は、周りの目(子供達や、夫、そうして両親)を気にせずネットもできない。

アツアツの料理を自分のペースでゆっくり食べることもできないし、アツアツのお風呂で長時間寛ぐこともできない。

眠たい時に、一人でゆっくり寝ることもできない。

 

子供がいるのだから、できなくて当たり前なのだと思う。仕事をしている、していない関係なく、子供がいる母親は、みんな「したい、けれどもできない」ことに囲まれながら生活しているのだとも思う。

 

けれども、心の中で思うのだ、もし自分が仕事をしていたら(もっと言えば、フルタイムで働き、夫と同じくらい稼いでいたら)どうだろう、と。

 

もっと気軽に、夫に対してさらなる努力と協力をもとめることができるのではないか。そうすれば、自分が「したい、けれどもできない」ことが一つでも減るのではないか、と。

 

夫の協力だけではない。お金を使って家事の手間を省くことも。保育園の一時保育を利用することも。もっと堂々と両親に子供を預けることもそうだ。

自分が仕事をしていれば、心置きなく下げることができる家事・育児のハードルが、自分が専業主婦であるがゆえに、そうすることに強い抵抗を私は感じてしまう。

もっとも、今の私は、決して完璧に家事・育児をしているわけではない。けれども、働いていないというだけで、手を抜くことに罪悪感や後ろめたさをどうしても感じてしまう。感じてしまうからこそ、手を抜くことで体は楽になるのだけれども、心は楽にはならない。

 

 

周囲の本音

繰り返しになるが、私の夫は家事・育児に非常に協力的である。そうして、私の両親もまたとても協力的だ。口も出すが、同時に手も出してくれる。

けれども、夫は時に家事・育児より自分の趣味を優先するときがある。

私の両親も、露骨に嫌味を言う時がある。

そんな彼らの言動を見聞きしていると、

「専業主婦は楽だと思われているのだ」

「仕事をしていないのに、家事育児が大変だと思うことはダメなことなのだ。もっと協力してほしいと思ってはいけないのだ」

と、私はたちまち自己嫌悪に陥ってしまう。

そうして、「自分は専業主婦をさせてもらっているのだ」と強く意識させられる。(夫に対してだけは、同時にその無責任な言動に対してイライラもしてしまうのだけれども)

 

 

夫や両親だけではない。知人や近所のおばさんとの世間話の中でもそうだ。自分が働いていないことがわかると、羨ましがられたり、夫への感謝を強要されたり。「専業主婦をさせてもらっている」と思わされる場面には、過去に幾度となく遭遇している。

そこには「専業主婦で楽させてもらっているのだから、夫に感謝しなさい。そうして、夫に不満を持ってはいけませんよ。家事・育児はあなたの仕事ですからね。もっとがんばりなさいよ」というメッセージが見え隠れしているように、私には思えてならない。

 

自分の思い込みも大いにあるのだと思う。

けれども、思い込みだけではない何か(社会的な無言の圧力のような)も、確実にあるように私は思う。