夫がする家事・育児にこだわりたくなる理由。
私の数少ない友人の口癖は、
「旦那には期待しないで、自分がいかに楽できて、快適に過ごせるかを追求すべき」
だ。
専業主婦で、かつ身近に頼れる実家(夫の実家も)もいない彼女は、習い事や幼稚園の延長保育、料理のレパートリーを曜日で固定するなどして、自分の負担を減らす努力と工夫をしている。家事の代行や便利家電こそ利用していないものの、彼女なりの「楽と快適の追求」へ試行錯誤は聞いていてとてもためになる。
「夫が楽ができて、かつ自分も楽ができるのがお互いにとってwin-win」
とのモットーには、なるほどな素直にうなずける。
最近の私も、ようやく友人に倣って、
「夫に頼らない、期待しない、自分にとっての心地よさの追求」
に考え方をシフトチェンジできるようになった。
とは言え、それでも休日の「動かない夫」「動こうとしない夫」にまだまだイラっとしてしまう、未熟な私だ。
どんなに楽を追求しようとも、私にとっての究極の楽である「家事・育児負担をゼロにする」にはどうしてもならない。
我が家は夫の意向で(家計を考え私も消極的ではあるが同意している)、家事代行や便利家電購入という選択肢はない。
結局、自分が楽するには「子供に我慢をさせるか」「夫の協力を仰ぐか」しかない。
特別、「食」に関しての、(心と家計への)罪悪感ゼロの負担軽減は難しい。
頻繁に外食もできないし、総菜や弁当を頼る選択も、買い物に行く手間と娘達の好み(そうして栄養)を考えると、どうしても「ありモノで、簡単に作る」選択をせざる得ない。
その一方で、夫に「自分で作る」選択肢は全くない。
故に、私が「ありモノで、簡単に作る」選択肢を取らざる得ない。のんびり、ソファーで寛ぐ夫を尻目に、だ。
先日も、仕事が休みだった夫は朝の8時から夕方の5時まで(帰宅時間すら知らされていなかった)一人で外出。
一方の私は、午後の2時に下の娘が帰宅後、下の娘と遊んだり、上の娘の宿題を見たり、家事をしたり、上の娘にせがまれ祖母の見舞い(脳梗塞で入院してしまい、ただいまリハビリ中)に行ったり、ついでに父親から車での送迎を頼まれたり、夕方の6時までバタバタとしていた。
夕方の6時に帰宅すると夫はソファーで録画していたテレビを見ていた。
夫には電話で帰宅が遅くなる旨は伝えている。にもかかわらず、夫は何もせず、ただソファーに座っているだけだった。
夕飯のメニューは、ご飯はセットしてあったので、チャーハンを作る予定だったのだが、娘のリクエストでカレーに変更になった。料理自体は一時間とかからなかったが、結局夫はその間ソファーで寝てしまい、娘達を私一人でお風呂に入れ、3人でご飯を食べた。
いつもの、夫が仕事でいない平日と変わらない夕方となった。
かつて夫は私に頻繁にこう苦言を呈していた。
「晩御飯の時間が遅い。お風呂の時間が遅い。寝る時間が遅い。」と。
けれども、夫はそれらは早くするために休日に積極的には動かなかった。今までも、そうしてこの日も。
私は夫から「何か作ろうか??」と言ってほしかった。
せめて「ごめんね」とか「ありがとう」と言ってほしかった。
けれども夫からは、何もなかった。
あぁ、私が欲しかったのは「夫の言葉」の向こうにある「優しさ」であり「労り」なんだよなぁ、と妙にしんみりしてしまった。
母親からの愛情は、「手料理」では計れない、と最近言われるようになった。
だったら、父親からの愛情も、「手料理」では計れない。
結局私が夫に求めていたのは、私が自分の両親や見えない世間、夫に求められたものと同じ、なのかもしれない。
私が夫がする家事・育児にこだわるのは、夫が私がする家事・育児にこだわるからなのかもしれない。