パワハラ・セクハラの、背景を重要視する、ということ。
明石市長のパワハラ発言が、物議をかもしている。町田総合高校の体罰問題も、ワイドショーで連日議論を交わされもした。どちらの出来事も、「賛否両論」的な要素があったからこその盛り上がりなのだろう。
発言力がある人が、こう断言してくれると、個人的にはとても心強い。
もっと言えば「加害者」に限らず、「被害者」に関しても同じことが言えるのではとないだろうか、と私は思っている。
被害者に非があれば、時に「加害者」は同情され、「被害者」は非難される。
「優秀ではない人間」が「優秀な人間」から何らかの利益を得ていた場合。
被害者が「特別能力に劣っている人間」(主観的にも客観的にも)の場合。
パワハラやセクハラはなかったことにされる。指導であり、教育であり、躾であるとされる。
おまけに、被害者自身も、被害を自覚できなくなってしまうという、大きなデメリットもある。
事件そのものを、一面ではなくて多方面から見ることは確かに正しい。
正しいけれども、だからと言って、「賛否両論」「喧嘩両成敗」で片付けてよいのだろうか??