面前DVについて。頭では理解できても、感情が追い付かない。
前回の記事で、私は「自分を見下す言動をとる夫を無視するのも面前DV に値する」旨について触れた。
面前DV(子供の目の前での、夫婦間のDV行為)は、虐待になる。
頭では、理屈では理解できるのだけれども。
=「DVの加害者のみならず、被害者も虐待の加害者とされる」事実に、感情が追い付かない自分がいる。
例えば、これが子供の目の前の暴力ではなく、大人の目の前の暴力であるのであれば。
「目の前で、暴力行為もしくは性暴力行為を見せられて心が傷付いた。トラウマになった。後の人生観が変わった。だから、暴力をふるった加害者のみならず、被害者にも責任を負って欲しい」
との理屈は、非常に理不尽に思うだろう。
こんな屁理屈を見聞きしたら、逆に、暴力被害者をかばいたくなるのではないだろうか??
もっとも、子供を一番に考えれば、「子供の目の前での夫婦喧嘩」でさえもNGとの認識は理解できる。
ましてや「子供の目の前での暴力行為や、暴言、無視」がもってのほかだというのも、当然だな、とも思う。
ただ、被害者でさえもまるで「加害者」のように断罪されるのは、違うのではと思う自分がいる。
「正当な理由のある夫婦喧嘩(約束を守らなかった、とか。家族の一員としての役割、ルールを破ったなどが原因での)」でさえもNGとしてしまうのは、何か違うのではないか、とも思う自分もいる。
もっと言えば、DV被害にあい続けていたがために、「被害者が自分を守るために、二次障害的に起こしまった、子供への不適切な行為」を、単純に「虐待だ!!」と断罪してしまうのも、何か違う気がしている。
きっと、面前DVの被害者である子供にとってみれば、どちらの親も「敵」であり「加害者」であるのだろうけれども。
こう考えてしまうのは、自分が面前DVの被害者ではないからなのだろうか??
私が、かつていじめの被害者であったがために、余計被害者に肩入れしたくなってしまうのだろうか??