「暴力」から被害者をかばう、守る、逃がすということ。
千葉県野田市の小4少女の虐待事件について、父親のみならず、母親も逮捕されたという報道があった。
同じく暴力を受けていたとみられる母親に同情するコメントも多くあるが、母親を強く非難する数少ないコメントにも多くの星がつけられており、支持されているのがわかる。
私の母親にも話を振ったところ「母親も悪い。母親は馬鹿だ」と一刀両断だった。
私には、幼少期に異性からの暴力を「我慢」することでやり過ごしてきた過去がふたつある。
一つは、年の近かった兄弟からの暴力。
一つは、小学生時代の同級生の男子からの暴力、だ。
もっとも、兄弟からの暴力は、自然消滅したのち、普通の兄弟付き合い(物を貸し借りしたり、修学旅行でお土産を渡し合うなど)ができるぐらいには、関係は修復している。おそらく兄弟喧嘩の延長上にあった暴力だったのだろう。とは言え、圧倒的に、男である兄弟のほうが体力がある。いつも泣いて終わっていた記憶がある。
特にひどかったのは、学校での暴力だった。
- 背後から飛び蹴りされる。
- 背中をエルボーで殴られる。
- お腹を蹴られる。
- 脛を蹴られる。
などいろいろとパターンがあった。けれども、幸か不幸か、体に痣が残ることもなく、怪我をすることも、血を流すこともなく、校内で大きく問題になることはなかった。
ただただ、痛いだけの暴力だった。
私の母は、これらの暴力の存在を知っていた。けれども、私の記憶する中では、これらの暴力から積極的に、私をかばい、守り、逃がしてくれることはしなかった。
どこか、「喧嘩両成敗」「どっちもどっち」的なスタンスであったように、私には思えてならない。
もっとも、兄弟へはきつく注はしてくれていたのだろう。ただ、兄弟からの暴力は、ある程度の期間続いていた。その効力があったかと思うとと、疑問が残るところだ。
少なくとも、当時「両親だけは常に私の見方だ」と言う心の支えがあったかどうか、私には自信がない。
家庭でも、学校でも暴力にあっていたということは、私には人からの暴力を引き寄せる、「何か」があり、その「何か」に母自身が共感する部分があったのかもしれない。
学校内での暴力を目の当たりにしたことはないにしろ、兄弟からの暴力は、幾度となく目にすることはあったはずだ。けれども、兄弟を泣かせるまで叱ったり、抱きしめて慰めてもらった記憶が、今の私にはない。
学校に(担任の教師に)直接抗議してもらったという記憶も、私にはない。
もしかしたら、私が都合よく記憶を改ざんしている可能性もあるので、母を一方的に攻めるのも違うのかもしれない。
違うのかもしれないけれども、何とも言えない気持ちを抱いたのもまた事実だ。
母だけではない。
私は学校で常に孤独だったわけではなかった。今でも付き合いのある友達もいたし、互いの自宅を行き来する仲の親しい友達もいた。
とは言え、彼女たちもまた、私が暴力を受けているとき、積極的にかばい、守り、逃がすということをしてはくれなかった。
もっとも、そのことに関しては、私は何も思うところはない。同級生が、痛い思いをしているのを直接見ているだけでも、ただただ怖かっただろうな、と想像がつくからだ。
教師に報告したところで、根本的に解決するものでもない。
私に何事もなかったように接することが、彼女たちの精いっぱいだったのだろうと、想像できる。
今回の事件、母親への非難も十分に想像はついた。けれども、逮捕にまで至ったことには、驚き以外の何物でもない、というのが私の正直な感想だ。
私には、この事件の母親を非難している人たちと、私の暴力に見て見ぬ振りをしていたり、積極的にかばい、守り、逃がしてくれなかった人たちの姿がダブる。
多くの人間は、さして親しくもないただのクラスメイトが暴力にあっても、積極的には守らない。見て見ぬ振りをし続ける。
そんな人間が、はたして我が子が激しい暴力にあった時に、積極的に正しい方向に動けるだろうか??
もし動けたとして、その行動に矛盾はないのだろうか??
自分の子供ではない相手への、生死に関わらない程度の暴力は、見過ごされても仕方のない事なのだろうか??
今、この記事を書きながら涙が止まらないことに、自分でもとても戸惑っている。
過去の暴力は、すでに終わったものとして割り切っているつもりだったのだけれども、違うようだ。
お腹を蹴られたときのあの激しい痛みが、再び思い出される。