あえてはっきりさせず、あいまいなままにしておく理由。
昨日は上の娘の小学校の入学式だった。
少し寝坊はしたものの、遅刻することなく受付を済ませ、式の最中多少下の娘が騒ぎ出すハプニングがあったものの、滞りなく式を終えることができた。
娘の通う小学校は、私の母校でもある。
式後校庭の遊具で遊んでいると、下の名前で声をかけられた。
びっくりして、よくよく話を聞いてみると、小学生時代の同級生だという。私はまったく気が付かなかったのだが、言われてみれば確かに面影がある。友人曰く私のことは「声が変わっていないから、すぐにわかった」とのこと。嬉しい再会だった。
式が始まる前小さなトラブルもあった。
会場の体育館前で夫からちょっとした注意を受けたのだ。夫のスリッパを持ってこなかったこと、自分のスリッパと上の娘の上靴は持ってきていたことを指摘された。
家を出る際夫は、「携帯とカメラだけしか持っていかない」と宣言していた。その時点で、私が気を回して夫のスリッパを持っていくべきだったと。
実は家を出る際、スリッパの必要性について話題になっていた。けれどもはっきりと「俺のスリッパも忘れずに持って行って欲しい」とは言われなかった。
本音としても、私はスリッパぐらい小学校でいくらでも借りれるだろうと高をくくっていた。幼稚園の時も、ちょいちょいスリッパを忘れて幼稚園から借りていたこともあり、ルーズになっていたのだ。
正直、私が何度もスリッパを忘れるという失敗しているのだから、私を信用せず自分で用意すればよいのに、と言う気持ちと、自分の持ち物は自分でと言う気持ちもあり、自分の失敗を素直に反省できない自分がいた。
この機に夫に「自分のことは自分で」とはっきり伝えるべきだったのろう。
けれども、私はそれをしなかった。
いや、できなかった。
何故なら、「自分でできないこともあるから、これからはポン助お願い」と言う展開が予想できたから。
そうして、自分の仕事・役割として「夫のスリッパの準備」をするのが、なんとなく嫌だったからだ。
あくまで「できる範囲で」「気を回して」 「やってあげた」という体でいたいと言う
いやらしい本音が私の中にあったからだ。
もし「夫のスリッパの準備」を自分の仕事・役割としてしまったら。
その延長線上にある夫のお世話的仕事(夫のワイシャツ・スーツの管理などなど)も自分の仕事・役割となってしまう。
夫のことなのに、もし私が忘れてしまったら、私が責められることになってしまう。
そこに、どうしても違和感を感じてしまうからだ。
どうしてだろう。
想像するに、私と夫の立場を入れ替えてみて考えたとして、私が必要なものを夫に用意させる、用意していて当然という発想がそもそもないから。
専業主婦であった自分の母親も、母親的な視点で夫である父親の世話を積極的にしなかったから、だと思う。
なにより、もしできなかったとき「自分でやればいいのに」と言う言い訳や文句・愚痴を言う隙が生まれるから、だ。
私は、自分の弱さ・欠点・短所をよく知っている。
だからこそ、自分のキャパ以上の何かを要求された時の逃げとして、あえて「あいまいなまま」にしているのかもしれない。