「家事をやりたくない」時に、何もしないという贅沢。
家事をやりたくない時がある。
けれども、子供がいると「何もやらない」と言う選択肢は存在しない。
「できるだけ手を抜く」という選択肢はあるが、自分のこだわり、子供たちのこだわり、夫のこだわり、家計の事情を考えると、限界がある。
夫が家にいるときはどうだろう。
「やらない」「極力やらない」「できるだけ手を抜く」という選択肢が、普段より容易に選ぶことができる。
けれども、ついつい欲張ってしまって「有意義な何か」をしたくなってしまう。
今日は、珍しく子供たちがいない。夫と出掛けている。
「久しぶりの一人の時間を楽しんでほしい」
と言い残し、夫たちは出掛けて行った。
けれども、優先順位の低い「普段は目をつぶっている家事」が所々路に目につく家に一人残されると、ると「やりたくない」という自分の気持ちを優先して本当に「何もやらない」ということが、自分にはとても難しい事だ、と今更ながらに気付かされる。
夫の仕事が始まれば、この「普段は目をつぶっている家事」に手を付ける機会は、ますます遠のいてしまう。
良くも悪くも、損得勘定が働いてしまうのだ。
今から何をしようか。
おしりふきを使い果たしてしまったから、ドラックストアに行くべきか。
牛乳と卵を切らしてしまったから、スーパーに行くべきか。
本屋に行って、ついでに上の娘のために「ビーズアクセサリー本」を買うべきか。
普段できない、家の片づけをするべきか。
いやいや、好きにこのままネットを続けてもいいのだ。
DVDを借りに行ってもいいのだ。
たまには、ネットカフェで思う存分漫画を読んだっていいのだ。
けれども、どうしても自分のための時間にする家事が、めぐりにめぐって夫がいない日常の自分を助けるとしたら・・・・・・という思いがどうしても頭から離れない。
「家に帰ったらやらなければいけないものが待っている」という現実。
夫にとって家は「寛ぐ場所」だ。
けれども、主婦の私にとって家は「職場」なのだ。
これも、私の良くない考え方の癖なのだろうか。
今の私の自分時間は、「夫から与えられる」ものだ。「自分の意思で作る」ことができたら、もう少し前向きに自分時間を楽しめるのだろうか??