実家依存症について改めて考える。
時折思い出したように、私は「実家依存症」についてネットで検索する。
もっとも、検索結果はいつも同じだ。
何時検索しても、「妻が妻の実家に依存している(していた)」現状(過去)に対する否定的な内容がばかりが目立つ。
- 夫側の愚痴や、離婚に至ってしまったという苦い思い出話
- 専門家からの、離婚の危機を煽る警告
- かつて実家依存症だった妻からの、反省文のような回顧録
などなど、脅しとも取れる言い回しで、危機感を煽るコメントやエピソードがずらりと並ぶ。
中には、実家依存を自覚している妻側の話や、そんな妻を擁護する声(多くの場合は女性)もあるにはある。
とは言え、「妻が(母親が)自分の実家を頼って育児をする」状況を好意的にとらえた記事や意見はまだまだ少ない。
私自身も、実家に通う頻度が異様に高い自覚があり、かつ実家に頼りすぎている自分を否定的にとらえていることもあり、反論したい気持ちと自分を責める気持ちとで、何とも言えない気持ちになるのだが、どうしてもやめることができない。いつもの悪い癖だ。
私の数少ないママ友、友人、知人の中は、
- 自分の親と同居している人。
- 自分の親ありきで、働いている人。
- 普段は離れて暮らすが、定期的に自分の実家に帰る(数日から一週間ほど宿泊する)人。
- 普段は離れて暮らし、長期休暇のみ実家に帰る(数日から一週間以上宿泊する)人。
- 平日は働いているからと、土日は自分の実家に泊まるのを習慣としている人。
などなど様々な形で自分たちの親を頼っている。
偶然にも、幸か不幸か、私のように仕事もしておらず、かつ自分の親と同居もしておらず、ただ単純に自分の親の近くに住む友人、知人はいない。
妻の実家頼りの育児が批判される理由は、
「妻として、母親として、人として成長できないから」
「夫が育児に参加できないから。夫が父親として成長できないから」
「もし妻の両親が何らかの理由で頼れなくなった時、親ありきでは育児が成り立たないから」
「妻の親の心身の負担が心配だから」だ。
では、なぜ妻は自分の親を頼るのだろうか??夫ではなく。お金で解決することもなく。
答えは簡単だ。
「自宅での一人きりの育児が、育児と同時進行の家事がしんどいから。楽しくないから」
「育児に悩みがあるから」
「夫と育児の悩みを共有できないから」
「夫が頼りにならないから」だ。
もっとも、親や夫に頼らずとも、便利グッズや外注サービスを頼る選択もあるにはある。
けれども、夫や妻の両親そうして妻自身の、義理両親の主義主張、偏見や思い込みの影響と、経済的な理由で、誰にでも簡単に選択できない現実がある。
「実家依存症」と聞くと、人によっては「実家で上げ膳据え膳、のんびり自分のことだけやっている妻」を想像するのかもしれない。
もしかしたら、人間的にも能力的にも、良くも悪くもできた妻の親だったら実現可能かもしれない。
けれども現実は違う。
「手も出すけど、口も出される」
「時には、手は出さないが、口は出される」
「アドバイスはされても、根性論だったり、精神論だったりで、正しい知識やテクニックを教えてくれるわけではない」
「遊び相手にはなってくれるけれども、躾は基本しない」
我が家に限って言えば、の話だけれども。
本音を言えば、実家より自宅のほうが空間としても断然居心地はいい。
自宅のほうが、そこそこ掃除もできているし、物の量や場所も管理できているし、把握もできている。
空調も自分の判断でオンオフできる。
基本私物(子供の服やおもちゃ、お菓子など)は実家に置かないようにしているので、何かあった時にも自宅のほうが対応がしやすい。
お菓子やテレビの制限も容易だ。
それでも、つい実家に行きたくなってしまう。
気分転換に、自宅を離れたくなってしまう。
例外もあるのだろうけれども。
実家に行くのには、頼りたくなるのには、何かしらの理由がある。
その理由を無視して、解決しないまま、正論を妻にぶつけるだけでは、夫婦としての家族としての幸せは得られない。
子供を産んだからと言って、女性は「母親」になれるわけではない。
子育てを何年も続けたからと言って、ワンオペ育児を続けたからと言って、「良い母親」になれるわけではない。
自分の両親からのサポートを絶ったからと言って、妻として母親として自立し成長できるわけではない。
なのになぜ「実家依存症」の言葉だけが独り歩きしてしまって、非難の対象になってしまうのだろうか。どうしても私にはその点が疑問に思えてならない。
判で押したように、実家依存症の妻を矯正するためのアドバイスとして
「物理的に距離を取り(遠くに引っ越し)ましょう」
と皆が皆口を揃えて言う。
けれども、実家に頼る理由が
「育児に悩み」であったり
「夫のとの関係の悩み」であったり
「ママ友などの話し相手がいないがための孤立」であったりするのであれば、それは真の解決方法には決してならない。