料理の手を抜く難しさ。
私の母は、料理が上手だ。
それ故、と言うべきか。穏やかな手作り主義者でもある。
私たち兄弟が、肌が弱かったり、喘息持ちだったのも影響しているように思う。
基本、おかずの揚げ物も餃子もハンバーグも、そうしておやつやデザートのケーキやゼリーもいつも手作りだった。
しかも、市販品に負けないくらいにおいしかった。
もっとも、徹底的に添加物や市販品を排除するような、息苦しい食卓ではなかったけれども。めったに総菜が並ぶことはなかったし、冷凍食品、レトルトや「○○の素」などはも「食事」として食卓に並ぶことはなかった。(おやつとして、あんパンや肉まんが用意されていることはあった)
つい最近話題になった「総菜のポテトサラダ」や「冷凍餃子」も、少なくとも私たち兄弟が子供の頃は、よっぽどの事情(母の体調が悪い、家族で遠出して帰宅が遅くなったなど)がない限りならばなかったように思う。
母の場合、料理が上手なうえに手際もいい。
おまけに、「おいしい料理のためにかける手間」はさほど負担に感じない性格でもある。
故に私が頻繁に発する、
「疲れた」
「何を作ったらいいかわからない」
「気分が乗らないから作りたくない」
は積極的には共感されない。
料理上手な専業主婦の母を見て育った私だ。
おまけに、親離れできていないおかげで、母からのアドバイスという名のお小言も真に受けすぎてしまい、自分で自分の首をついつい絞めてしまいがちだ。
もっとも、わざわざ馬鹿正直に昨晩や当日の夕食メニューを両親にしゃべってしまう私も悪いのだけれども。
日常会話の中の母や父からの、
「品数が少ない」
「栄養が足りてない、偏っている」
「○○(夫が大好きな総菜)ばかりで、××君(夫)がかわいそうだ」
「また△△(子供たちが好きな料理)なの!!」
などといった言葉に、気の弱い私はいちいち敏感に反応してしまう。
けれども、冷静になって考えてみれば、家族のための料理は「私だけの仕事」では決してない。
私が長らく専業主婦だったのもあるし、仕事を始めたといっても、安い時給のアルバイトであり、「私がやらなければ」と思うこともあるが、時に「夫の仕事や休みの時ぐらいは、夫がやってくれても」とも思う自分も正直いる。
いやもっと正直に言えば、仕事を始めてからというもの、その気持ちが日に日に大きく膨らんでいくのを感じている。
ネットやママ友との会話の中でも、たとえ妻が専業主婦であっても子供が小さいうちは特に「土日の昼食か夕食は夫が作る」などといった話は割とよく聞くエピソードだろう。「妻の体調が悪い時」や「妻だけが仕事の時」にも「夫が食事を作る」話も極端に珍しいエピソードではない。
「何が何でも、専業主婦(時短で働く場合も含めて)の妻が家族のための食事を作らなければならない」では決してないのだ。
けれども現実は「専業主婦の妻が家族のための食事を作る」前提で、家族や周囲の人間の言動は成り立っているようなところがある。
屁理屈だが、どんなに手を抜いて「作る」にしても「買ってくる」にしても「注文する」にしても、その主語は妻なのだ。
その後のお財布事情、一日、一週間で見るトータルの栄養等、と考えるのもまた妻なのだ。
それを考えてしまうと、そもそも「手を抜く」って何なのだろう、と考えてしまう。
「手を抜く」方法にも色々ある。
自分で作ってもいいし、レトルトや総菜、冷凍食品に頼ってもいい。
極端な話「ご飯、納豆、インスタントの味噌汁、カットトマトときゅうり」でもいいのだ。
夫や子供たちが文句を言わない、好き嫌いなく食べればの話だけれども。
だが究極の手抜きである「作らない(買い物に行かないも含めて)」方法は限られている。
なぜなら「妻が作らない」ためには、代わりに「お金で解決する」か、「夫が代わりに作る」しか方法はないからだ。
であるのであれば、妻だけの意思や判断ではどうにもならないのが現実だ。
今、夫はお盆で一週間仕事が休みだ。
この一週間は、私も「極力手抜きをしよう!!」と心に決めて、過ごしている。
先日、一回だけ夫が昼食を用意してくれた。
メニューは「きしめん」と「総菜のから揚げ」だった。けれども、娘たちは唐揚げはほどんど口にせず、ひたすらきしめんを食べていた。ほんの少々の薬味の青ネギと海苔と一緒に。
ちなみに、その日の朝食はチーズとハムのトーストと牛乳だけだった。その日の前日は、夫の実家で夕食にカレーを食べている。ただ、間食(長女のリクエストで作ったクッキー)をたくさんしたので、娘たちはカレーにはほとんど手を付けなかった。昼食は、総菜パンと菓子パンだった。
けれども、その日の夕食に「野菜とタンパク質をとらなきゃ」と思ったのは私だけだった。
手抜きって難しいなぁ、とつくづく思う私だ。