家事は育児であり、育児は家事である。
以前にも同じ趣旨の記事を書いているのだけれども。
「育児は父親もするべき。でも、家事は主婦の仕事だから、役割分担としてする必要も手伝う程度でよい」
との主張をしばし見聞きする。
私は、この主張に、非常に違和感を抱く人間の一人だ。
私個人としては「家事は育児であり、育児は家事だ」と考えている。
子供も使う日用品の在庫管理と買い出しは、家事でもあるが育児でもある。
子供も食べる食材の在庫管理と買い出しそうして、食事作りも、家事であり育児でもある。
掃除や洗濯であっても、子供たちの健康と安全に繋がるのだから、家事である育児でもある。
専業主婦(主夫)の夫(妻)の家事・育児について、「お金を稼ぐのも育児」であるのであれば「家事をして家の中を整え、家族の健康と安全を保つのも育児」であるのではないだろうか??
けれども、疲れていて、かつ大黒柱として働く夫(や妻)に、育児までならまだしも家事の手伝いを要求するのをタブーとする考えは、まだまだ根強く多くの人々にある。
故に、「夫(妻)にもっと家事をしてほしい」との主婦(主夫)の主張は、非難を浴びたりするのが現実だ。
我が家の場合。
夫の休日は「完全なる自由時間」が確保されている。
少なくとも私の夫は、休日に最低限の家事はするが、
- 在庫をチェックしたうえで、足りない食料品や日用品や収納用品を買う。
- 最低限の掃除(我が家の場合、床の掃除機掛けとモップ掛け)以上の掃除(例えば水回りとか)をする。
- 引き出しの中や本棚を整理整頓する。
等のイレギュラーな家事をしない。考えもしない。
おまけに基本平日休みなので、子供たちが帰宅するまでの「完全なる自由時間」が保証されている。
繰り返すが、夫も最低限の家事はする。
するが、それらは私も出社前にできる限りすようにしている。決して、私は夫のように「自分の身支度と食事だけして、出社」はしないし、できない。そのため、夫のする最低限の家事は私が日常的にしている最低限家事以下だ。
夫は朝早いし、夜は遅い。
稼いでいるのだから、と言われればそれまでだけれども。
その朝の早さと夜の遅さには「みなし残業」や「無償労働」が隠れているわけで、手放しに「応援」も「支える」のも難しいのが私の本音だ。
働きだしてからというもの「仕事をすればするほど、自分の自由な時間がなくなるジレンマ」に悩まされている私だ。
仕事をしても、私の最低限の家事はゼロにはない。なぜなら、夫の家事は「自分がしたいときにする、したい家事」だからだ。
例えば、夫は頑なに夕食づくりをしない。私がどんなに仕事と食材や日用品の買い出しで帰宅が遅くなっても、常に「待ち」の姿勢を崩さない。私が、言葉にしてお願いしてもはぐらかすかきっぱりと断る。
もっとも、家事は、「お金」で解決はできる。
けれども悲しいかな、自由な時間をお金で解決する選択肢を、私は持たない。安い時給で「お金のため」に働いている私にとって、その金銭的、心理的なハードルは大きい。
故に、私はどうしても「夫のする家事」にくくってしまう。
けれども、私の母は、時にママ友も、「旦那さんは疲れてるんだから、休日ぐらいゆっくりさせてあげたら??」と言う。「自由な時間が必要だよ。」とも。
現実世界だけではない。ネットやSNSでもその手の主張をしばし目にする。
そんな主義主張の数々に、いちいちもやもやしつつも、はっきり反論できない自分がもひどくどかしい。