日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

被害を受けても「大袈裟」「ウソ」と切り捨てられる不思議。

冷静になって考えてみたら、ひどい被害が、不思議と「大事」とされないケースがある。

 

 DVにまつわる相談をめぐり、とても考えさせられる展開を見せた記事に対して、非常分かりやすいエントリーを読んだ。

相談内容の詳細は、上記のエントリーを引用すると以下の通りだ。

なお、DVに関する分析や対処方法なども詳しく説明されている。

 

幡野さんのご記事で紹介されている相談内容を「Mさんと直接対面して取った取材メモ」という想定でまとめてみました。太字は、相談の文章に明示されていないけれども聞きたい内容、および推測した内容です。なお本記事では、「相談内容に書かれている内容は全て事実」と仮定することにします。Mさんが実在するのかどうかを含め、裏の取りようがありませんから。

  • Mさんは20代女性、アルバイト2つを掛け持ちしている。週のうち6日間は1日7時間以上就労している。
  • 生育歴において実親との間に問題があったかどうかは不明。現在も、いざとなれば実家に逃げ込むことが可能な関係性ではある。
  • 現在の夫とは学生結婚。既に2人以上の子どもがいる。
  • 現在は「マイホーム」に住んでいるが、誰が資金を出したのかは不明。
  • 夫は卒業後に就職したが、数年後、義父の経営する会社に転職した。
  • 夫が給料を家計に入れているかどうかは不明。
  • 夫は、Mさんの家事や育児に対して毎日、1日あたり数回、非難する。
  • 深夜、Mさんが寝ているところを叩き起こし、やり直しさせることもある(頻度不明)
  • 実家に帰ることを考えたところ、夫の実家に連れて行かれ、義父から数時間にわたって説教された。義母や夫のきょうだいの存在は不明。
  • 夫妻の話し合いで円満な生活が戻る場合もあった。
  • 数ヶ月前、夫が居眠り運転で交通事故を起こして免許停止となったことから「連日、深夜まで遊んでいた(妻子には残業と説明していた)」「事故は何回も起こしていた」ということが判明。
  • 離婚も考えるが、踏み切れずにいる。

※便宜上、あえて箇条書きに書式を変更しています。

 

余談だが、 私自身は件の相談文の「主語が抜けている文体」に関する違和感は抱かなかった。

 

 

さて、いじめやDVについて、いつも不思議に思うことが私にはある。

例え、教室や家庭などの、全くの密室の中であっても。

どんなに加害者が巧みに自分の加害を取り繕っても。

どんなに被害者が必死になって自分の被害を隠しても。

加害者と被害者の歪な関係の不自然さは、漏れ出てくるように私は思う。

少なくとも、ドラマや映画、小説などのフィクションの世界では、「明るみになりそうで明るみに出ない事件」がスリリングに描かれる。それは、第三者があえて見ないようにしている場合もあれば、別の解釈をして見過ごしてしまう場合もある。

 

もちろん、完ぺきに自分の加害を隠せる人間が存在するのも承知している。

そんな狡猾な人間の存在は否定しない。 

 

ただ、素人考えでは、職場やママ友との日常の会話の中から、子供の日頃の言動から、たまに会ったり連絡を取り合う親族や家族との近況報告から「加害者と被害者の歪で不自然な関係性」や「加害者の加害性」「被害者の被害性」は多少漏れ出てくるものでは、と思えて私にはならない。

学校や幼稚園の教師や近所の目もある。

  • 子供がはだしや裸で玄関先やベランダで立たされている。
  • 生活費がもらえていない、と推察できそうなエピソードを雑談の中でちらほらと見聞きする。
  • 兄弟の一人が差別されている現場を、遊びに来た子供の友達が目撃する。
  • 夫の父親の職業や家の外観にそぐわず、妻や子供の服装が極端に貧相。
  • 毎回特定の生徒がプロレスごっこで技のかけられ役になっている。

等の不自然さを見聞きする機会は多少あるのではないか、と私はつい想像してしまう。

そんな日常を前に、それらが「大事」として問題視されないからこそ、いざと勇気を出して被害者が第三者に相談した際「大袈裟」「ウソ」と切り捨てられてしまうのではないだろうか??

 

例えば、ソフトな例としてはよく聞く話として、「嫁いびり」として「親族が集まっての外食や自宅での会食の際、姑がわざと嫁の分の食事を注文しない、配膳しない、取り皿を用意しない」等の意地悪のエピソードがある。

この手の話を聞いていつも思うのだが、お嫁さんだけ毎回食事が注文されない、配膳がされない不自然状況に立ち会った夫や子供、その他の家族はどう思う、どうリアクションしているのだろうか、と。

純粋に興味がなく気が付かないのか。

気が付いても、面倒が先に立ってスルーしているのか。

気が付いて、かつ 直接姑に問題定義なり怒るなりしているのだろうか。

「あからさまな悪意」を前に、「見て見ぬふり」をするのは、被害者本人にとってみれば「悪意の肯定」と同義ではないだろうか??

 

 

家族の形、夫婦のありよう、友達との関係性に正解はない。

故に、「家族の形の多様性」「他所の家庭の問題に干渉すべきでない」「当の本人たちがそれで納得しているのだから」との理屈や正論を前に、被害を被害として認識しない人が多いのも問題なのではないか、と私は思う。

 

 

私自身、小学生時代被害者として暴力を伴ういじめを経験している。

男子から女子の私へ、「背中に飛び蹴りされる」「エルボー(肘打ち)をされる」「お腹を蹴られる」等、こうして文章にするとなかなかえげつない暴力を受けている。おまけにクラスメイト達の目の前で、だ。

だが、幸か不幸かけがも痣も残らなかったせいか、双方の親を巻き込む大問題には発展しなかったし、どちらかを転校させようという話や動きもなかった。学級会的な会が開かれた記憶はあるが、それで劇的に事態が改善したという記憶は私にはない。大々的にクラスメイトにかばってもらった記憶もない。積極的にクラスメイトが教師に報告していた記憶もない。

当時の私は、「こんなひどい暴力を受けているのに、誰も問題視してくれない」事実にも、大いに傷ついた。

 

そんな苦い経験をしている私だ。

今回の「DVにまつわる騒動」には、いろいろ考えさせられ、かつ何とも言えず落ち着かない自分がいる。