「お金を運ぶ人」なのか、「大切な夫であり父親」なのか。
共働きだからこそできる、言い回しなのだろうけれども。
好戦的なタイトルのエントリーにひどく興味を惹かれてしまった。
育児のしんどさをこぼすと高確率で帰って来る言葉の一つに、
「子供が母親を求めるのは今だけ。もう何年かしたら、寄っても来なくなるんだから」
的な返しがある。
子供が成長し、思春期を迎えれば自然と子供は親から離れていくのだから、親子のスキンシップや会話、食事、遊びを楽しめるのは今のうちだよ、との先人からのありがたいお言葉だ。
考え方を変えるという対処療法であり、根本的な悩みからの解放でも解決でもないが、一理あるな、と下の娘が幼稚園に通いだし、「確実に」一人の時間を持てるようになった今なら思える言葉である。
さて、件のエントリーの夫がどの程度育児をし家事をし家族と関わっているのか、私にはわからない。
わからないが、投稿者の妻には日々の夫の言動が「何かにつけて自分優先」に映っているからこその、だったのだろう、と私は想像した。
夫を「お金を運ぶ人」「ATM」として扱うのは確かに良くない。人として、とても冷淡であり非情だとも思う。
思うが、日頃の言動がそう思わせているのだとしたら、仕方がないのでは、と思わなくもない、というのが個人的な感想だ。
つい最近夫の友人の結婚式があった。
その数日前夫は珍しく連休を取っており、例によって例のごとく、連日早朝から出かけて行った。
初日は下の娘がお弁当の日で、朝バタバタするのが予想されたため、事前に「行かないで欲しい」と自分の意思を夫に伝えてはいた。が、結果受け入れてもらえない形になった。おまけに、二日目は体調不良を理由に午後ずっと布団の中だった。
そのくせ、結婚式当日自分の靴の保管がぞんざいだったことに「チクリ」と嫌味を言われた。ほこりにまみれており、出発間際に磨く必要があったからだ。
事前に準備する時間はたっぷりあったのに、だ。
自分のことは自分でやっていると、日頃公言しているのに、だ。
普段、靴の保管に頓着がなく、「自分のことは自分でやる」「妻の家事にも育児にも基本口を出さない優しい夫」を自認する夫が、自分の不都合に直面したのをきっかけに「家事にも育児にも、手を出さないけれども、都合の悪い時だけは口を出す嫌味な夫」になった瞬間だった。
そんな些細でくだらない出来事が積み重なり、人は「期待しないこと」を学習していくのだ。
おまけに、第三者からもたらされる、「期待しないこと」で得られる、「人生を心穏やかに過ごすための」成功体験談の影響もある。
家事・育児に「鈍感」で「意識の低い」男性に対して「期待してはいけない」とのアドバイスはよく聞く話だ。
とは言え、言葉にして伝えても、最終的には本人の問題である。必ずしも変わるとは限らない。だったら、考え方を変えるのは自分しかいない。
だから人は期待しなくなる。求めなくなる。
だから、件のエントリーの投稿者が「期待しない」「求めない」境地に至ってしまうのも、致し方ないのかな、と私には思えてならない。
そんなことをつらつらと考えてしまったエントリーだった。