日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

家事・育児の対価とか負担感とか。

仕事を始めてからというもの、「家事・育児の対価」や「家事・育児の負担感」について今まで以上にいろいろと考えるようになった。

その「いろいろと考える」理由は、やはり「家事・育児が労働にカウントされない」現実へに不満というか、違和感があるからだ。

 

安い時給で仕事をしているのもあり、夫より早起きし、帰宅後家事育児をしてもなお、手に入るお金はごくわずかだ。とても夫に面と向かって「私ももっと働きたいから、家事や子供の世話を今以上にしてほしい」とは言えない現状に、もどかしさを感じている自分がいるからだ。

もっと言えば、朝食は作らず(早起きした私が自分の分のついでに作る、プラス前の晩のあまりものとか)、昼食は栄養を考えずテキトー、夕食も作らず、お風呂も一人で入れず、寝かしつけもせずな夫の家事・育児と自分の日常の家事・育児を比較してしまう自分がいるからだ。

 

一方で、非常に矛盾しているのだけれども、私が仕事をしている間、両親に娘たちを見てもらっているのだけれども、その対価を私は払っていない。

「適正な対価」は払えないが「それに代わる何か」は渡したいなとは思う。けれども、両親特に母親はそれを受取ろうとしない。私が働く理由が「お金」であるため、母は最大限の協力をしたいのだ。「せっかくポン助が働いて得た貴重なお金を自分達に使っては本末転倒だ」と考えているのだ。母親自身が、同居の祖母(父の母親)に育児の協力を得ていた(同居故、成り行き上自然にだろうけれども)のも影響しているのかもしれない。

代わりにと言っては何だが、常に感謝の言葉はしているし、数少ない頼まれごとは快く引き受けるようにはしている。 

 

 

家事・育児をしていても賃金は発生しない。だが、生活する以上「家賃・水道光熱費・食費・雑費」は発生する。故に、主婦の家事・育児の対価はそれら生活費で賄われている、とも考えられるのかもしれない。

 

ただ、働き始めてからというもの「何か違う」との思いが強くなった。

先日もこんなツイッターの投稿に私は激しくうなずいてしまった。

 

 

専業主婦が魅力的なのは、

  • 夫が十二分(この定義があいまいなのが難しいのだけれども)に稼いでいる。
  • 自分が家計を握っている。もしくは、お金で家事・育児の負担を軽減できるほどの余裕のある生活費をもらっている。
  • 自分が産前産後の大変な時、体調不良の時などは、夫が家事・育児を代行してくれる。
  • 夫が上から目線で「養ってやっている」発言をしない。
  • 最低限自分のことは自分でする。
  • 夫が「浮気」「ギャンブル」「暴力」「モラハラ」等の決定的な過失を犯さない。

などといった条件が揃っているであろうと想定されているからだ。

そうでなければ、専業主婦はまったくもって魅力的な存在ではない。

 

現実問題、主婦の「ワンオペ育児」や「家事の偏り」に対する不満がネットでもリアルでも多数あるのは、幸せな主婦ばかりではないからだろう。

 

たとえ話として、

「3度の食事付きの寮のある仕事があるのだけれども、給料から寮費と水道光熱費、を差し引かれるとほとんど手元に残らない。決まった休日もない。しかも、この仕事は履歴書に乗せることもできず、転職時評価もされない。」

なんて仕事に魅力を感じる人はほとんどいないだろう。

 

 

家事・育児に賃金は発生しない。それは紛れもない現実だ。

おまけに、素人である主婦の家事・育児は完ぺきではないし、社会のシステムとしてそれらの正しい知識と技術を十分に習う機会にもなかなか恵まれない。学校での家庭科の授業では不十分だからだ。結局みな「見よう見まね」で本屋ネット身近な先輩の姿や話を見聞きして知識と技術を得ているのが現実だ。

もっとも、例え完璧な家事・育児をしていても、賃金は誰からも支払われない。

支払うとするならそれは夫だろうが、家事・育児を時給換算した場合の適切な算出方法は一つではないのが現実だ。

 

ネットで「家事 育児 対価」で検索すればいくつかのページ・算出方法を見つけられる。その金額を夫が妻に払い、家族で割った数字の家賃水道光熱費などを夫にきっちり支払い残りを自分のお小遣いとするのなら、この不満が解消するのかと聞かれたら、それはそれで違う気もする。

 

結局自分でも何が言いたいのかわからなくなってしまった。

 

要は、夫に「自分にもそうして仕事をしている間に娘たちの面倒を見てくれている私の両親にも、もっと感謝を言葉にして伝えてほしい」だけなのかもしれない。