私は「気が付いたら夫が仕事をしていた」とは思わない。
仕事をする、お金を稼ぐ苦労を知っているからだ。だから、常に感謝をしているし、労う心を持っている。
けれども、家事・育児に関してはどうだろう。
時折家事・育児のを積極的に負担しない夫側の言い分として、
「気が付いたら妻が家事・育児をしていた(だから自分のすべき家事・育児が残っていなかった)」
と主張する人がいる。
先日もテレビでとあるコメンテーターが悪びれる様子もなく、そう主張していた。
そうして、そんな夫側の主張を擁護する人もいる。
「指示を出さない、お願いをしない、話し合いをしない妻が悪い」と。
けれども、時間があり、健康面、体力面の問題もなく、かつ家計的に働く必要のある専業主婦が働かないとき、
「気が付いたら夫が仕事をしていた(だから自分のすべき仕事が残っていなかった)」とは言わない。とう言うか、成立すらしない。
「指示を出さない、お願いをしない、話し合いをしない夫が悪い」
と妻を擁護する人もいない。
私の夫も、休日は特に、「気が付いたらポン助が家事・育児をしていた」と思っている節がある。だから、自分はやる必要がない。やらないくてもよい。と思っている。
昨日、久しぶりに娘たちの休日と夫の休日が合い、夫の実家に行った。今年に入って、3度目の夫の実家だ。
事前に夫の実家に行くのは決定していたため、一人バタバタと事前準備の家事をしている私をよそに、夫は娘たちとアニメのワンピースを仲良く見ていた。
その間私は、
- 可燃ごみ(今日が燃えるゴミの日のため)のとりまとめ(流しおよび排水溝の掃除、洗濯機のフィルター掃除と、浴室の排水溝の掃除も含む)
- 冷蔵庫内の賞味期限のチェックと整理
- お風呂掃除(帰宅後私が入るため)
- 溜まっていた牛乳パックの解体
- 翌日の幼稚園の持ち物の準備とチェック
- 翌日の朝食用の米とぎ
等をしていた。夫の実家に行くと、帰宅は夜の9時近くになるからだ。お昼と晩御飯をもらい、お風呂(夫と娘二人)まで入っていくのが夫の実家でのお決まりの流れになっている。
ちなに三、「私抜き」もしくは「私は遅刻して夕方から合流」は、長女からNGが出ているのでそうそうできない。
夫は、私が一人バタバタしている間、私を気に掛けない。
私がしている家事は「ポン助が好きでしている家事」との位置づけだ。
自分の実(夫の)家でも、夫は家事はしない。
食後後片付けも、皿洗いも、帰る前の後片付けもしない。
けれども、私はする。それは、料理をしてくれる夫の両親への遠慮と感謝の気持ちがあるからだ。何より、家事の負担感を知っているからだ。
黙って座っていたら自動でご飯はできないし、お皿もきれいにならない、テーブルや床も片付かない。
夫がソファーでずっと転寝をしていられるのは、夫の両親と私が家事と子供相手をしているからだ。
夫に指示を出さない、お願いをしない私が悪いのだろうか??
いや、私が仕事を決めるのに、夫は私に指示もお願いも出していない。
自発的に、「必要」だと思ったから仕事を決めたのだ。
「お金を稼ぐ大変さ」を知っているがために、「時間の都合がつくのならば自分も多少なりともお金を稼ごう」と思うのだ。
だったら、夫も夫自身が「必要」だと思ったら、「家事が大変だ」と思ったら家事を自発的にしてもよいのではないだろうか??と単純に不思議に思う。
なぜ私はこうも「夫が家事を自発的にする」のにこだわるのだろう。
確かに、家事の総量を一番把握しているのは私だ。
ただ、私は家事の一つ一つにこだわりがあり、いちいち夫にダメ出しをするわけではない。
夫自身も、一つ一つの家事は必要に応じてする。
昨日私出発前にしていた家事も、夫が「困り」「必要」と思えば、自発的にするのだ。そひれが同じ空間に私がいて、かつ私が一人で家事をこなしていると、夫一人であれば「必要」と判断される家事が「必要ではない」と判断されてしまうのに、強い違和感を私は抱いてしまう。
やはり私は、夫が「家事」を評価していない(ように感じる)事実、家事をしている私に感謝していない(ように感じる)事実に、私は腹を立ているのだ。